「忘れられないあの1冊」―ピーターパン“夢と現実”―  成城学園高等学校二年 古川茉由

 大人って一体どんな感じだろう。今の現実に精一杯な私にとってそれは遠い先のことで、全く想像もつかないことだった。

 自由に跳ね回り、遊び、食べて眠る。明日は何をしよう、何に出合えるんだろう。そんな事で幼い私の頭は一杯で、新しいことだらけの周りの世界は常に輝いて見えていた。先のことなんて見えないから、ずっとこのままであると思っていた。

 私がその物語と出合ったのは、わずか一歳の時だった。幼い私に両親はその物語を読み聞かせ、大きくなるにつれて私はその物語の内容をきちんと理解できるようになり、私はその物語をとても好きになっていった。

 『ピーターパン』。その本は何度もページをめくられ、読み込まれていたので本棚にある本の中でひときわぼろぼろで汚くなっていた。  本棚の前に立ち、何冊もある本の中から一冊を手に取る。幼い頃の私が毎晩そうして本を選ぶ様子は今でも何故か鮮明に思い出される。私はその数多くある中から度々ピーターパンを選び出し、両親のもとへ行っては「読んで」とねだった。

 有名なこの童話は、ピーターパンという永遠に大人にならない少年の物語である。

 幼い私にとってピーターパンと彼を取り巻くネバーランドでの生活は憧れそのものであった。永遠に子供であることを約束された彼は、自由に空を飛び、遊び、食べて眠る。彼は子供達のリーダーである。彼には自分の周りの世界がどんなにか輝いて見えただろう。私は、 「ネバーランドに行きたいなあ。」

 と思い、両手を広げて飛びまわる真似をしたりした。

 その頃はまだ、大人というものに対する意識も漠然としたものでしかなかったのであまり恐れることもなく、ずっとこのままでいられるかも、などという幻想すら抱いていた。

 小学校受験に向けて勉強する事で忙しくなり始めて私は、遊んでばかりいられることはないのだということを学び、大人になる事を恐れながらも、ピーターパンという物語のことすら忘れる様になっていった。

 だが最近、私は再びピーターパンのことについて考えるようになった。

 それは、日日日という作家の書いた『ピーターパン・エンドロール』という小説との出会いによってだった。

 物語中に出てくる「旅人さん」によって語られる、原作のピーターパンと、あの物語を全く違った方向から見るということを、私はそれを読んで初めて知った。そして今まで憧れでしかなかった夢物語は段々と現実味を帯びていく。

 ピーターパンは、宿敵フック船長と戦い、勝利をおさめた。その経験を通じて少女ウェンディは少しずつ大人になっていく…。

 私がとても好きだった童話上では、戦いを終えたピーターパンはウェンディを家に送っていった。自分は大人になれないからウェンディと一緒にはいられない。そんな言葉を残して。

 だが原作上では、ウェンディが大人へと成長するのを怒ったピーターパンが、ウェンディを殺そうと追いかけまわす…とある。

 これを読んだ時点で、私の夢物語に対する憧れは薄れていった。子供達のリーダーでヒーロー的存在である彼がそんなことをするなんて…といった衝撃を受けた。

 原作を知る前にあった謎も、夢を打ち破られる形で判明した。ネバーランドには、フック船長と仲間をのぞけば子供しかいない。それは何故ならピーターパンが、大人になっていく人を次から次へと崖から突き落とし、チクタクワニのエサにしてしまっていたからだった。

 私が幼い頃に求めたネバーランドは、もちろん夢で想像の世界でしか無いのだが、明るく楽しいだけの夢の世界ですら無かったということだ。大人になった人々を突き落とし殺し、自分の理想の世界を作りあげる、といった行為がなされているなんて信じられなかった。いらないものを排除したいという自分勝手で子供じみた考えは度々、私達の生きる現実の中で見られる行為であって、夢の世界で起こって欲しくなんかなかった。

 「旅人さん」はこうも言っていた。

 自分達の作った夢の世界で、英雄を気取るピーターパンを見てウェンディは、このままではいけないと思い、大人になっていく。

 私はそれを読んで、ピーターパンを哀れに思った。彼は自分自身の行動によって、ウェンディの様に離れていく周囲の人々の様子に気付くことはない。一生、死ぬまで。それは末恐ろしいことの様に思えた。自分で気付いて修復していくからこそ人間関係もうまく成り立っていくのだ。

 私はぼんやりと、ピーターパンの子供っぽさと私の幼い頃のふるまいとを重ね合わせて見た。そして自分勝手な様子を思い出しては、恥じた。

 つまり私は気付かないうちに子供っぽい自分を外側からも見れる様になっていた。あんなになりたくなかった大人へと、一歩ずつ近付いている訳である。

 自分のいる世界に精一杯な時、自分のいる世界が一体どんな形でどんな色なのか。それを知ることは出来ない。自分のいる世界を客観的に見つめる事が出来る様になった時、初めてその世界から一歩踏み出すことが出来たと言える。そして次の世界を広げ、進んでいくこと、それが大人になるということである。

 私はそれを、ピーターパンという物語と、彼自身を通して学んだ。

 彼は自分自身をネバーランドから出られなくしている。そこに自分を縛りつけることで、周りの大人を敵とすることでカラに閉じこもり、自分の身を守っているのだ。

 フック船長は、ピーターパンの相手をし、そんなピーターパンを大人の道に近付けようとしてくれた唯一の大人であると言える。そんな大人すらはねのけてしまい、閉じこもることで彼はひたすらに大人になることにおびえている。

 幼い頃からただひたすら憧れを抱いていた『ピーターパン』の物語は、再び私が大人へと近付きはじめた時、急に現れ、またその物語の印象はガラリと変わることとなった。

 私は今でも、大人になりたいか、それとも子供のままがいいかと尋ねられれば子供のままがいいと思う。だが、ピーターパンのように大人になることを拒んだり、恐れたりはしない。

 出来れば、幼い頃に出会ったこの物語は、永遠に夢物語のままであって欲しかった。現実味を帯びてしまった物語は、もう夢とは言えない。

 だが私はこの物語を通じてたくさんの影響を受けた。大切なことは、夢の世界に入ったとしても、自分には戻るべき現実の世界がある事を忘れないことだ。夢はあくまでも夢であり、ひとときの幸福をもたらしてくれるものだということを分かっていれば、そこから出られなくなることもない。私はそれをこの物語から学んだ。

 幼い頃に持っていた本は全て捨ててしまった。だが、ぼろぼろに破けた『ピーターパン』の物語だけは、今でも私の手元に残っている。





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