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コロッケ インタビュー
ものまねタレントのコロッケ(45)が、デビュー25周年を迎え7月、記念コンサートを開き、10月には座長公演で“昭和の爆笑王”林家三平を演じる。もはや知らない人はいない“ものまね王”だが、25年やってきて、やっとこれから先何をしたいのかが見えてきた、と謙虚に語る。謙虚だが、芸を磨くことには怠りがない。どん欲といったら違うという。「ただ人間に対する興味がつきないだけです」。おだやかな瞳で、歩いてきた4半世紀について話してくれた。
text & photo by ENAK編集長


やっと出た自分らしさ
「よろしくお願いします」という挨拶の声は、もちろんテレビのままだが、こうして直接聞くとその柔らかさに改めて気づく。時に強烈な笑いを誘うものまね芸だが、この人の場合、突き放すようなとげとげしさがないのは、この声の柔らかさゆえなのかもしれない。

コロッケ昭和55年、新人お笑いタレントの登竜門番組「お笑いスター誕生」(日本テレビ系)でデビュー。声優の故山田康雄と歌手の中尾ミエが司会を務めたこの公開番組は、当時、大変な人気を誇った。かくいうENAK編集長も毎週欠かさず観ていた。とんねるずをはじめ多数のお笑いタレントが、この番組から飛び出した。コロッケもそのひとり。よく覚えている。

もっとも、「当時は、まだセミプロ。上京してわずか1年であの番組に出演できて運が良かったけれど、ネタがすぐにつきてしまったんですよ」。夜の盛り場で芸を磨き、ネタを仕込む日々が続いた。62年、「ものまね王座決定戦」(フジ系)で優勝して「ここまでがんばってきたことが間違いじゃないんだという自信が生まれました」と振り返る。

その後はものまねブームを牽引し、さらに舞台へと活動の場を広げながら迎えた25年。

「ものまねについていえば、やっと自分らしさが出た、といえるようになりました。20周年のときは、まだそういえなかった。どうやって作り上げてきたかを説明できるようになったのは、今年に入ってから。芸能界で100のことをやるとしたら、まだ半分ぐらいできたところ。ただ、25年やってきて、これから先何をしたいかがなんとなく見えてきました」

シャガールのように
謙虚だが、きわめて意欲的でもある。

「ものまねは10年、20年後…いえ、50年後に観ていただいてもおもしろいものを作り続けたいんです。時代にしばられないタレントでありたい。歌手って歌が残るじゃないですか。落語家も演目が残る。ものまねは? ものまねを永遠に残すためには、ただ似せる相手に似ているだけじゃだめなんです。その当人を知らない人が観ても笑えるものじゃないと」

コロッケ そのことに気づいたのは、もう20年も前だったと言うから、「ものまね王座決定戦」優勝前の研さんの日々のころ。声帯模写に取り組んだりもしたが、やがてものまねにパフォーマンスを加えることを考える。たとえば演歌歌手、五木ひろしと映画「ロボコップ」のロボットの動きを合体させてみせる。歌手の故淡谷のり子と映画「スター・ウォーズ」のヨーダというキャラクターを組み合わせたらどうだろうと考え、淡谷は結局、映画「マトリックス」のキャラクターと合体させた。

「そうするとたとえ五木さんを知らない人が観ても、その動きだけでおもしろいと思ってもらえる。だから、僕のものまねは、そっくりである必要はない。そっくりじゃないのにそっくりに見えるものがいい」

ただし、そのためにはものまね芸のほかにパフォーマンスのほうの収得も必要になる。アクションやときには日舞の所作などだ。それもきちんと基礎をおさえた動きでなくてはだめだという。

「日舞の動きを取り入れるとき、中途半端ではだめなんです。きちんとした所作を取り入れたら、たとえば(歌手の故)美空ひばりさんのものまねが、よりひばりさんらしく見える。さらに、それをデフォルメすればひばりさんら“遠ざかる”こともできる。基本の所作を身につけた上で崩すんです」

まるでピカソの絵画のように?

「そう。それからシャガールの絵画のように。シャガールの場合、彼の作品は現実からの逃避だったのか。あるいは、彼には現実がまさにああいうふうに見えていたのか。五木ロボットって非現実的ですが、僕の中では実は当たり前の存在だったりするんですよ」

楽しかった25年
45歳になる。が、さまざまなものへの興味はつきないという。たとえば、人間に対する興味。街で独特の動きの老婦人を見かけたから失礼のないよう横目で、しかし、じっと観察したという。「得した気分になりました」

観察が好きだと言うことは人間が好きだということ。人間が好きだということは…。人に対して優しいということ、かもしれない。声の柔らかさに加え、そのあたりにこの人のものまね芸の“秘密”があるのかもしれない。さらに人間以外のものの動きも観察するのだという。コンピューターグラフィックスやロボットなど。そこから五木ロボットは生まれた。

五木ひろしのものまねで…
五木ひろしのものまねで…=東京都内のレストラン
「30代のころより体力がついている感じがします。30代のころは40代になったらアイデアが枯れちゃうのではないかと不安でしたが、声もよく出るようになった。30代までがんばったから、今、技(わざ)が使えるようになったのかなと思います。たとえば以前だったらたくさん動かなくては見せられなかった動きを今は2、3歩動いただけで見せられる」

「コロッケ版遠山の金さん七変化」(11年)を皮切りに座長公演を続けている。「わだばゴッホになる 棟方志功物語」(15年)では役者として大いに注目された。コンサートと合わせると年に200ステージを踏んでいる。そうした経験は、周りの空気に一瞬にして反応することを可能にもしたという。

7月26日に東京国際フォーラムで芸能生活25執念記念「コロッケコンサート〜ものまねを超えたものまね」を開く。

「このコンサートは、ものまね9割でいきます。大人から子供まで楽しめるものになると思います。観にきていただいた方に損はさせません」と張り切る。また、10月には東京・新宿コマ劇場で舞台「笑われたかった男〜林家三平物語」が控えている。

続いて演歌歌手、森進一の顔で…
続いて演歌歌手、森進一の顔で…=東京都内のレストラン
「25年という歳月は大変だったというより、楽しかった、ですね。後悔はないです。プラス思考。たとえば道ばたで転んでけがしても『ああ、車がこなくてよかった』と思うんです。血液型がBだから、割り切りが早いのかもしれません。芸能界って辛いことがあったからステージには立てません−−とは、いえない。自分のような性格のほうがよい」

次の25年を目指し、まずは50歳までに喜劇役者としての自分を確立させたいと考えている。だからといってものまねを祖次ぎようするわけではない。

「ものまねは死ぬまで続けますよ」

写真撮影を始めると「ふつうの顔のままでいいんですか」と、五木ひろしやちあきなおみの顔まねをしてくれた。まじめな表情のコロッケ、を撮影しようと考えていたのだが、ものまね王にふさわしいのは、人を笑わせる顔のほうなのかもしれない。
information
25thコロッケコンサート
25th コロッケコンサート
7月26日(火) 午後6時半から東京国際フォーラムで

笑われたかった男
10月5〜30日
東京・新宿コマ劇場

公式サイト
homepage3.nifty.com/mr-croket/
profile
昭和35年3月13日生まれ。熊本県出身。
昭和55年、「お笑いスター誕生」(日本テレビ系)でデビュー。全国でコンサートを行い、テレビ・映画・ラジオで活躍。ものまねレパートリーは100種以上。新宿コマ劇場、中日劇場で座長公演も。
14年ゆうもあ大賞、15年ゴールデンアロー賞(芸能賞大賞)、同年浅草芸能大賞(新人賞)

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