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意外な音だった。ヒップホップだろうという先入観は裏切られた。いや、もちろん、ヒップホップやラップの要素はふんだんに入ってはいるが、ああいう機械的な反復による呪術的な音楽ではない。もっと有機栽培のような音だ。米国に「オーガニック」と形容される音楽があるが、それに近いか。芯にはロックがある。それも、けっこう古典的なロックだ。「とべ東田トモヒロ」(東芝EMI/TOCT-25316/¥3,059)という作品を言葉にするのはなかなか難しい。だが、その“定まらなさ”こそが、この作品の最大の魅力だろう。熊本出身の東田トモヒロ(31)。なんだか、不思議でおもしろい存在だ。


熊本出身。現在も基本的には熊本に暮らす。が、そのことに特別な意味はない。東京で仕事があれば、東京にいるし、なにも用事がなければ熊本に帰る。ただ、それだけのことであって、どこに住んでいるか、という意識は、本人には希薄なようすだ。ちなみに、今回は熊本から車を走らせて2日がかりで上京した。居場所が定まらず、常に移動している。それが、東田トモヒロというミュージシャンの基本的な姿勢のようだ。今年の12月で32歳になるというが、25歳でいちど、CDデビューし、しかし、鳴かず飛ばずで、いったん熊本に戻った。その後、郷里でアルバイトをしながら、音楽好きの友人たちと作った自主制作のCD「neutral」が、口コミで人気を博し、15年4月の“再デビュー”につながった。まずは、そのころのことを聞いてみた。

バイト暮らし 焦りよりやるしかない
東田 25歳のとき、友達と2人のグループで大手レコード会社からマキシシングルを出しています。そのころやっていたのはフリッパーズギターみたいな、打ち込み主体のロックでした。ただ、レコード会社が大手なのにインディーズみたいな手法をとっていたので、これなら実際のインディーズで自分たちの意思のままに活動するほうが、自由だし、おもしろいのではないかと考え、熊本に帰りました。それでグループは解消し、バイトをしながら、自分のアルバムを作ろることにした。バイトは2つかけもちしていました。「これは間違いない」と自分で思った歌があり、これを形にしたかった。そのことだけを考えていましたね。
01)BUBBLE IN A BOTTLE
02)FIRE
03)WAR IS NOT THE ANSWER
04)いい
05)風来坊
06)ONE LOVE
07)さくらのうた
08)TWO OF US
09)ジャパニーズマン
10)星空の唄
11)茜の旅
12)わが古里のカントリーロード

CDは、どうやって作ったの?

東田 ポータブルの録音機を使い、自宅で録音したのですが、いろんな友達が手伝ってくれて、その中にはDJもいて、それが自分のヒップホップ原体験になりました。そいつらのやっていることがおもしろくって「おお、ロックじゃん」て思っていましたね。まあ、なんでもええけん、音作りたかったんですよ。みんなも新鮮な体験だといってくれたけど、今思うと、よく手伝ってくれましたよね。おれ自身にものすごい“勢い”があったからかもしれないな。

できたCDは、どうやって売ったの?

東田 知り合いのお店、ライブハウスから洋服屋さんまで、ともかく、おいてもらった。CDに対する反応は大手から出した作品より、はるかによかった。CDのケースに自分の携帯電話の番号を記入しておいたら、毎日のようにいろんな人から電話きて。「ライブをやりにおいで」とか「うちのお店にもCDおいてあげるよ」とか。ついには東京からライブを見に来た日ともいて、それがいまの所属事務所の社長やレコード会社の人たちだった。

25歳で熊本に戻って、将来や現状に対する焦りのような気持ちはなかったの?

東田 親に対して、かっこうをつけたいという気持ちはありましたね。ただ、焦りより、もう、がんばるしかないんだという気持ちのほうが強かったのかな。そう、追い込まれないと何もしないいタイプなので。おふくろは「東京から帰ってきたときは、案外、元気にふるまっていたよ」っていいますね。「だから、心配はしていなかった」って。絶対に、心配させてしまっていたとは思うんですけどね。

ホワイトアルバムばっかり聴いていました
ところで、音楽の原体験は? ヒップホップについては、その自主制作のCDを作っているときに、友人のDJが参加してくれたことが最初の出合いだったようだけど。

東田トモヒロ 東田 ああ、こどものころは、ビートルズの「ザ・ビートルズ」(通称・ホワイトアルバム)ばっかり聴いていました。兄貴の影響で、ほかには佐野元春さんとか。それからレゲエも好き。あの生々しいリズム。もっと前だとおふくろが詩吟の起用室にいくのについていくのが、すごく好きでしたね。どんな音楽かということ以前に、歌そのものに触れていたんだと思っています。あれは3歳か5歳だったんじゃないかな。うちのおふくろは仕事をしていて、ほとんど家にいなかったんで、そのときだけは、ずっとそばにいられた。

なるほど、この説明には納得だ。というのも、このCDを聴いた第一印象は、どこかにビートルズやその遺伝子を受け継いだ佐野元春と共通するにおいが漂っているということだったからだ。具体的にいうと、歌の1フレーズごとの語尾のしゃくり上げ方が、ジョン・レノンとそこから派生した佐野の歌唱を思わせた。それから、歌声の二重録音という手法が、やはりビートルズのやり方なのだ。もっとも、個人的な思いこみに過ぎないだろうと思っていたから、ビートルズや佐野の名前が本人の口から出てきたときには驚くと同時に大いに納得した。ところで、「とべ」という表題、この意味は?

東田 落書きがもとになっているんですよね。ほかの人の作品の表題をいろいろと思いめぐらしていたら、どうもどれも分かりにくいって思ったんですよね。確かに、格好いいものが多いのかもしれないけど、分かりにくくないかと。その分かりにくさが、だんだんと格好悪く思えてきた。その瞬間、なんとなく書きつけていた。「とべ」。言葉の響きが気に入ったのと、きっと、こんな表題だったら、だれも忘れないだろうなと。実は、デビューアルバムは「cycle」って表題なんですが、「サークル」って読まれたり。自主制作盤は「neutral」って題だったのに「ナチュラル」って読まれたり。そんなこともあって、「とべ」だったら、読み間違えられたりもしないだろう。ただ、「とべ」っていう言葉自体は、無意識のうちに出てきただけで、意味はないんです。

収録曲の中では、「星空の歌」を非常に気に入っています。基本的には、秀逸なバラードなんだけど、伴奏の編曲がどことなく古いジャズというか昭和30年代の歌謡曲ふうというか、ともかくミスマッチなのがまたよい味を出している。一方、歌詞を読むと強く感じるのは「漂白」ですね。あなたの歌は、この「漂白」というか定まっていないということをしばしば感じさせる。

東田トモヒロ 東田 ああ、たとえば、いつも同じメンバーと演奏していると不安になる、ということは確かにありますね。変化があったり、どこかに移動しているほうが落ち着く。ずっと熊本にいるのではなく、東京にきたり、北海道にいったりしていたほうが安心できる。音楽やっている以上、いろんなところから呼ばれるほうがいいわけですしね。間違いのない場所にいたり、組織に属していることは安心を得られる大きな要素だとは思います。だけど、今の僕は音楽を作って、ライブして、新しい出会いがたくさんあって、しばらく会えない人が大勢出てきたり…。それが当たり前なわけですよ。

「星空の歌」では特に、「あしたのことは、あしたのためにとっておく」という歌詞が印象的です。これにはどういう思いが込められているの?

東田 「星空の歌」は、仕事でいった京都から熊本に車で帰った際、車中で思いつきました。あのとき、こう思ったんですよ。今自分がもっていないものについてクヨクヨしたり、目の前で起きていないことを心配するのはやるよう。そういう思いからできた歌詞です。まあ、そう思いたいということであって、今のおれがそうであるということではない。あとから聴いて、おれってこんな立派なこと歌っているかとあきれてしまうことがありますよ。まあ、歌って、それほどあやふやなものだと思うんですよ。

あやふや?

そう。だから、いろいろなことにこだわらないことにしているんです。たとえばレコーディングに万全の準備をしたりせず、むしろ、なにもしないでその日を待って、実際にそのときになったら最高に気持ちええことをする。それを楽しみにする。ただ、体が動くほうに進んでみる。予想もしない結末になるからこそ、おもしろいんじゃないですか。

気持ちと形の間に夾雑物を入れない
すると、今回のレコーディングでは?

あらかじめイメージを用意しておいたりはしませんでした。ただ、たどり着く先がすべて。「ジャパニーズマン」は、なくとなく(80年代に出てきた英国のロックバンド)プライマル・スクリームの「ロックス」みたいにしたいなとは思ったのですが、絶対に、そうはならんのです。なぜならレコーディングにプライマルが来るわけじゃなく、沖縄の演奏家が参加してくれるわけだから。それなら、出たとこ勝負でいきましょ。だから、このアルバムがどんな作品になるかも、終盤までは見当もつかなかった。どうせすべてが思い通りになるわけではないから、なんも決めんでいこう。

なるほど

それと、他人の意見も聞くようにした。自分で「ええかもね」と思っても、どこかに疑問が残っている場合、ほかにも同じ意見の人がいたら、そのアイデアを採用するのはやめようと。たとえば、装丁のデザインだって、それをめへんに仕事をしてくれる人がいるのだから、お任せするほうが絶対にいいものができる。

「とべ」はどういう作品なのか、ご本人の口で説明していただくとしたら…

東田 なんでしょうね…。サウンドやジャンルを武装したりせず、どんな場面でも受け入れてもらえる内容になったのかなあ。好きにやっていたら、いろんなジャンルが自然とまざった。前作よりもよけいな意識が入っていない。何かを形に変換するとき、その間によけいなものが入り込んでしまうことがある。たとえば、記者の方が記事を書くときもそうかもしれませんが、周りの人の意見とか、はやっているものの価値観とか、そういうものが入ってしまうと純粋度が薄れるんですよね。「気持ち」と「形」の間に、なるべく、いろんなものが入らんようにしています。

なるほど

東田 東田 たとえば、「星空の歌」なんて、童謡みたいじゃないかといわれたらどうしよう。そんなことを考えると作るのを断念するかもしれない。だけど、そういうものを形にすることこそ、かっこういい。それこそが、パンクだしロックだし、ポップだしブルース。こんなものが生まれた。こんな気持ちになった。そのことを、なんも考えず、形にする。そういうことです。ものを形にするときに前よりも素直になれたな。それと、他人が発するものについても、いいものはいいんだと思えるようになった。ロックが好きな人って、それ以外のものはカッコ悪いと思ったりするけど、そうじゃなくて、ある人が発した何かに対して、いいか悪いか。純粋に反応したい。要するに、ものを感じたり作ったりするときに、よけいな情報や感情は排除するようにしました。

そう。この「とべ」の、第一印象、いろんな者が混ざっているのに、芯はロックだという感覚は、まさにそんな作り方によるところが大きいのだろう。

東田 いろんなことをしたいと意識したわけじゃなくて、結果的にそうなった。今、ライブやるために編成したバンドがあめので、次回作はそのメンバーで作りたい。つまり、いつだって自分のネットワークを使って音楽をやっている。ただ、その相手がそのときで変わっていっている。いずれにしても、歌としては一貫している。ただね、このアルバムに収録した歌の歌詞についていえば、個人的な思い・生活に即した歌と、ものすごくいい加減に作った歌との2種類の集まりなんですね。身を削った歌と削らずに作った歌。「BUBBLE IN A BOTTLE 」「FIRE」「さくらのうた」とかは、いわばインナーの(自分の内側を見つめた)歌。そういう作業に疲れたときにきわめて適当に作ったのが「ジャパニーズマン」。にもかかわらず、「ジャパニーズマン」については「イデオロギーを感じる」という人までいるからおもしろい。

僕は、そんなものも何も感じなかった。まさに適当の極みだと感じた。

ふふふふ。そういう人もいるんですよ。人それぞれでいいんです。俺としては、適当に作ったんだっていうしかない。で、その適当さ加減に“飛距離”があったりするんですよ。声にしても力を込めて「あーっ」っていったのより、適当に「おう」っていったほうが(聴き手の気持ちに)響いたり。音楽自体もそのぐらいがいいと途中で気づいた。適当でいい加減で、だいたいいい感じのものを作ろう。だからこそ流れに任そう。目標なんて、一切ありえない。考えてください。今、世の中に流れている音楽を聴くと、体がLOCKされますものね、すばらしすぎて。自宅に来客があって、お茶を出すとき、カップになみなみとついで出すのは失礼じゃないですか。ガキのころ、ビートルズの「ホワイトアルバム」を聴きまくった理由のひとつは、あの作品ってなんかいい加減なんすよね。「これが音楽なの?」といいたくなる、すごく変わったものを聴いている気持ちになった。それが、すごくかっこよかった。音楽の途中で笑い声とか聞こえてくるでしょ。つまり、あれは、きっちりとした時間の流れの中で作られたものではない。そこが魅力。