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「trinta」収録曲

1.ふとした瞬間 
2.あの頃のように/大橋純子with中西圭三
3.裸の約束
4.Stray Eyes
5.ミネラル・ウーマン(特に鉄分)
6. Say Love
7.My Journey
8.parallel
9.星を探して
大橋純子 30th Anniversary Concert〜trinta〜

7月10日(土)
恵比寿ガーデンホール
東京都目黒区三田1-13-2
START 18:00
PRICE ¥7,000(tax in)全席指定
キョードー東京 TEL:03-3498-9999
チケットぴあ TEL:0570-02-9999
CNプレイガイド TEL:03-5802-9999
ローソンチケット TEL:0570-00-0403


以上、大橋純子公式サイトより
昭和49年にデビューして30周年を迎えた歌手、大橋純子が記念アルバム「trinta」(パップ/VPCC-81478/税込¥2,500)を出し、10日に東京・恵比寿ガーデンホールで「30th Anniversary Concert〜trinta〜」を行う。30年とひとくちにいっても、その道のりは長く険しいものだったに違いない。だが、「まだ通過点」と、本人は淡々とこの区切りを見つめる。ベテランならではの余裕のせりふ、というわけでは、ない。「山あり、谷、谷、谷ばかりだった」と振り返るように、険しくとも着実に歩んできたからこそいえる、着実な言葉なのだろう。淡々と40年目に向けて踏み出そうとする大橋に、ENAKは、彼女がお気に入りという都内の喫茶店で会って話を聞いた。

text & photo by Takeshi Ishii/石井健
──御髪がキンキラキンですねえ!

■大橋純子:4月から東京、大阪、名古屋、福岡のライブハウスを回るツアーが始まりましたが、気合を入れたい。周囲にも「力が入っているね」とみられるようなことをしたいと思いまして。髪はすでに短いですから、これ以上短くしたってしようがない。よし、色でも変えてみるか。生まれて初めてこんな色にしてみました。思ったよりは変じゃないな。家族にも「そんな違和感ないよ」って普通に言われちゃって。あまり驚かれなかった。ブリーチには5時間かかったんですけど、その間、万が一変だったらどうしようかと葛藤はあったんですけど。変だったら、また黒にすればいいんだからって、やってみたら、なーんだ、こんなものか。

大橋純子。北海道出身。3人の兄たちの影響で音楽を聴き始める。札幌での学生時代からバンドで歌うようになり、上京後、スーパーマーケットというバンドに参加。レコード会社のオーディションを受けるなどし、昭和49年6月、ソロ歌手としてデビュー。デビュー作はアルバム「フィーリング・ナウ」。ライブなどは、大橋純子&美乃屋セントラルステイションとして活動。ちなみに、そのバンドにはギター奏者、土屋昌巳が在籍していた。土屋はその後、一風堂というバンドを作り「すみれSeptember Love」(57年)というヒットを放つ。それはともかく、大橋は「シンプル・ラブ」(52年)、「たそがれマイ・ラブ」(53年)、「シルエット・ロマンス」(56年)とヒットを放ち、実力派ボーカリストとしての地位を築く。
──まず、アルバム「trinta」について教えください。このアルバムでは、中西圭三とデュエット(「あの頃のように」)し、さらに中西は「Say Love」「My Journey」の2曲を提供していますね。さらに、土屋昌巳がギターで参加し、「ミネラル・ウーマン(特に鉄分)」という曲を提供しています。土屋との共演は28年ぶりとか。

■大橋: 30周年記念作品になるので、私にいちばん“しみついている”音楽はなんだろうと考えました。20代のときがいちばん音楽に心酔した時期だった。一生懸命音楽に向かい合っていた時期だった。ときは1970年代。世界的にもいろいろなアーティストが出てきて、さまざまなジャンルの音楽が生まれた時代。音楽の宝庫の時代だった。その中のひとつであるAOR(アダルト・オリエンテッド・ロック=大人向けのロック)を底辺におこう。昨今、音楽はコンピューターを多用し、クールになってきて、聴く人もちょっと疲れてきているのではないか。だから、数年前から「癒し系」などといいだしているのでは。70年代の音楽は何がよかったかというと、人の手を通してのビート、グルーヴがあった。音色も温かい。レコード盤の中には空気感もあったし、ともかく、ものすごく温かい音をしていましたよね。そのあたりのニュアンスを出せればいいな。今だからこそ、あの時代のいいメロディーとグルーヴと音が作れたらいいだろう。これをコンセプトにしました。

── 現代にAORって、ズレていないかという意見は、周囲から出ませんでしたか

■大橋: 全然なかったです。ここ数年、1980年代ぐらいまでの音楽を、若い人たちも新鮮に感じているようで、周りでも、そういうものを聴いている人は多い。今ならイケるかな、という感じでしたね。AORの歌の世界は、非常に夢がある。あこがれもあり、スマートだったり、おしゃれだったり、きらびやかなものがありましたよね。いまの歌みたいに切ない、苦しい、辛い…ばかりじゃなくて。現実的ではあるけど、もっと、映画のような、ソフトな、夢のある感じがあった。気持ちよい音楽。気持ちよく楽しみたいとか、包まれたいとか、ゆったりしたいとか、そういう気持ちを誘えればいいな。
──そういうサウンドを作ろうとしたとき、作曲家、演奏家をどうするかという課題あったかと思いますが?

■大橋: 作家陣は、自分と同世代の人だけで固めたくなかった。AORをリアルタイムで体験した私と、ちょっと後ろからきて、AORにあこがれていた世代とか、20代前後のリアルタイムではAORを知らない人たちに、感じるままに書いてほしいというのもあって。AORは懐かしい、だけど新しい−−を、キャッチフレーズにして。目玉は、シンガー、中西圭三さんとデュエット。おかげで曲を書いてもらえもした。最初に歌を一緒にうたい、「そういえば、中西くんは曲を書くのだし、書いてもらいたいなあ」といったら、「喜んで」と。彼の中にあるAORの感覚で書いていただいたものが2曲収録されました。

──中西圭三とデュエットすることになった経緯は?

■大橋: パーカッショニストの斎藤ノブさんのイベントがありまして、ゲストとして私と圭三さんが呼ばれたんですよ。で、終わって打ち上げのときに、ノブちゃんが「純ぺーと圭三は一緒にうたうといいんだよ。そのときは、曲は佐藤健(大橋の夫で作曲家)に書いてもらうの」って言ったんですね。それが運良く実現できた。去年のうちに歌を録音し、そのときにお願いしたら、すぐに曲を書いてくだすった。ひょんなことから実現した。土屋昌巳が参加していますが、彼は私が在籍したグループ、美乃屋セントラルステイションの初代ギタリストでした。彼とも偶然、去年の12月、さるパーティーで27年ぶりに再会をして、「どうしてたのよ」という話をひとしきりした後で、「実はレコーディングは始まっているんだけど、よければ参加してもらえるかな」なんて切り出したら「ぜひ、喜んで」っていってくだすった。まずギタリストでレコーディングに参加してもらい、その後で、曲も書いてもらった。27年の間、交流がなかったので、ギター演奏のスタイルとか、音楽的な志向とか、まったく分からなくて、だから、まずギターで参加してもらって。そしたら、やっぱり変わっていないなあ。切れ味のいい、スリリングなギターを弾いてもらい、ああ、これだったら絶対にいい曲を書いてもらえるんじゃないかと思いった。ひょんな出来事みたいなものが、いくつか重なって、期せずして、本当に記念になるアルバムになりましたね。

──物事がすべて、うまく転がってできた作品という感じですね。

■大橋:ここ数年、解散したバンドなんかが再結成したりするけど、そういうのもかっこうよくないんじゃないかなと思ったりしますね。30年の節目ではありますが、通過点には違いなくい。まだ前を向いて歩いている途中なんで、全部を止めて過去を振り返るようなことは、まだやる気持ちになれない。といって、いい音楽仲間に恵まれてきたので、そういう方々にいい形で参加してもらえたらいいなという気持ちもあった。作為的に創るより、私という歌手に、自然と曲を書きたいと思ってくれる人に書いてもらいたかった。思っている以上にいい形に仕上がったと思います。

──装丁のイラストは、一世を風靡したイラストレーター、鈴木英人のものですね

■大橋: はい。80年代、先端の音楽のジャケットを手がけていた方です。マネジャーのアイデアで実現したのですが、いいものになったなと思っています。
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