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月組トップ、紫吹淳が会見
宝塚人生に悔いなし
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さわやかな表情で退団を発表する紫吹淳=大阪・北区のホテル阪急インターナショナル |
●●●悔いはない
「退団は昨年暮れに決めました。悔いはありません。最後の日までがんばります」
退団が明らかになった宝塚歌劇団月組のトップスター、紫吹淳が5日、大阪市内のホテルで記者会見した。1本立て大作「薔薇の封印」の東京宝塚劇場公演千秋楽(来年3月21日)を最後に退団する。グレーのパンツスーツに純白のブラウスと落ち着いた装いの紫吹は、すがすがしい表情で退団について語った。
「新しい月組を作ってくれた。立派な花道で送り出したい」
こう切り出した植田紳爾理事長は、次のように続けた。
「真琴つばさ(前月組トップスター)が退団を申し出たときのことを思い出します。彼女は『次の紫吹が十分に力をつけたので、心置きなくバトンタッチできます』と言った。その通りの活躍をしてくれました」
退団を決意したのは昨年暮れだったという。
「同期の香寿たつき(前星組トップ)が退団することになった時期に、『薔薇の封印』でヴァンパイヤをやることが決まった。すごくやりたかった役だったので、この作品を最後にしようと思いました」
来年は宝塚歌劇団創立90周年の節目を迎えるが、未練はなく、むしろ決断を後押ししたと明かした。
「(退団を)もう1年延ばすと、ずっと(宝塚に)いてしまいそうな気がした。(節目であることで)かえって踏ん切りがついた」。
●●●ケガも含めて宝塚人生
群馬県出身。中学卒業後、宝塚音楽学校に入り、昭和61年に歌劇団に入団した。
抜群のプロポーションとダンス力で、早くからショーの即戦力として活躍し、海外公演にも数多く参加。花組→星組→月組と組替えする中で実力をつけ、専科時代にはドイツ・ベルリン公演で各組の選抜メンバーを率いて主演。
平成13年8月の東京公演から、真琴つばさの後を受けて月組トップとなった。
思い出深い作品を問われると、ベルリン公演と宝塚大劇場でのトップお披露目公演となった「ガイズ&ドールズ」(トップお披露目自体は、これに先立つ東京での「大海賊」だった)の2つをあげた。
「ベルリン公演では、それまでの2番手とは違う立場の風景を見て感激しました。『ガイズ−』は本拠地のお披露目ということで、どの公演より緊張したんです。あえて選ぶなら、この2つが私の中の宝塚の財産です」
トップに立つまでには、ケガなどのアクシデントで休演することも多かった。
「後遺症もなく今を迎えられたのは、悪運が強いんでしょうか。休演の間に考えることもいっぱいあったし、すべてが私の宝塚人生と思えます。トップの立場は大きな羽根を背負う重さ以上に、宝塚の看板を背負う重さがありますが、大階段を降りる充実感は何ものにもかえがたい。悔いはありません」
そう言い切った。
退団後については、「まだ全くわかりません。漠然としていますが、何かいいお話があれば、そのような場で活動させていただきたい」と語り、芸能活動への意欲を示した。
結婚について問われると、吹き出しながら「残念ながらありませんが、そちらのほうもよろしく」。
●●●彩輝にエール
なお、月組の次期トップについて植田理事長は、「うわさや憶測が先行しては困るので」と前置きして、「彩輝直(専科)をトップにしたい」と異例の発表をした。
この発表を受けて紫吹は「彼女は元月組だし、先の公演も、次の公演も一緒に出てくれる。彼女なりの新しい月組を作ってくれると思う」とエールを送った。
紫吹の今後のスケジュールは次の通り。
●コンサート「Lica−Rika/L・R」=東京芸術劇場中ホール(9月24−29日)、大阪シアター・ドラマシティ(10月3−9日)
●退団公演「薔薇の封印」〜ヴァンパイア・レクイエム〜=宝塚大劇場(11月21日−12月26日)、東京宝塚劇場(来年2月6日−3月21日) |
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SUMiRE DATA |
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8月5日
by 平松澄子 |
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●連載 産経新聞における主な宝塚関連連載記事は次のとおりです。
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