今回撮影したカットの中では、これが個人的に気に入っている。大階段。毅然として立つ愛華みれの光と影。
ファンには失礼ながら、記者は宝塚にそれほど詳しくはない。詳しくはないが取材者として接する中で、トップというのはいわゆる“マラソンランナーの孤独”の心境なのではないかなと想像がとめどなくふくらむことがしばしばある。
この逆光の写真は、そんな記者の想像を具象化したような絵柄である。美しいし、孤独だし、しかし、超然としている。
「ミケランジェロ」は生と死がひとつのテーマで--それは光と影といってもいいのだが--、非常に重い作品ではある。
愛華がまとう衣装は、宝塚的な華麗さからいえば十分ではない。ミケランジェロは常にいきりたっている。愛華の熱演は、撮影した写真の表情を見るとよく分かる。口元が常にゆがんでいる。
樹里咲穂演じる盗賊・メンドリーニはサン・ピエトロ聖堂の礼拝堂に忍び込んだ罪で捕まる。「なぜ、そんなところに忍び込んだのか」という問いに、「ミケランジェロがつくったピエタが見たかったからさ」と答える。
好きな場面だ。ぐっとくる。
歌うがごとくせりふをしゃべるメンドリーニの存在はいかにも宝塚的で、その役回りは、たとえば「エリザベート」のルッキーニのようなもかと思う。
宝塚的にさっそうとした樹里の役回りに対し、ミケランジェロはしかし、やはり口をゆがめて、その後ろ姿を見送る。
やりばのない情熱、あるいは怒り。それを抱いた人間の哀しみを愛華は全力で、ずっしりと表現する。
モノクロームの印象の「ミケランジェロ」に対して「VIVA!」のほうは色彩豊かだ。第3章「VIVA! Tropicana!」におけるハードロック的な重厚なビートが印象に強く残る。
この写真はそんなカラフルなショーの中での一瞬の場面だが、“写真の偶然”で、後ろにはすでに匠ひびきらが立っていたのかもしれない。覚えていない。
そうだとしても、記者としてはこの写真は「ミケランジェロはけいこ段階から飛ばさなくてはならない役」と思い定め、退団までを駆け抜けようとする愛華の気高い孤独感を表現しているように思え、自画自賛したくなるのである。
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