紀元前300年くらいまで続いた縄文時代は、狩猟や採取の時代でした。この時代、農耕はほとんど行われておらず、植物性食品としては、果物や果実が中心でした。葉や根で食用に用いられたものはきわめて少なかったと考えられています。
狩猟はもっとも盛んな食物獲得の方法でした。日本におけるこの時代の鳥獣類の骨は70種類くらい発見されています。日本の場合、家畜化はあまり行われず、自然の動物を豊富に食べていました。豊富にというのは種類のことであり、量のことではありません。狩りは大変な仕事ですから、量はいつも不足していたかもしれません。
多くの大陸では、この時代の人類は主として獣肉や鳥肉を食べていました。しかし、四方を海に囲まれた日本人は、貝塚をみても分かるように魚介類も豊富に食べていました。このことが、その後の日本人の食文化に大きな影響を与えます。
弥生時代に入ると農耕が始まり、米作が盛んになります。農耕技術をもった弥生人の伝来のためです。狩猟時代には富の蓄積はできませんが、米は保存がきくため富の蓄積ができます。これによって権力が発生します。
このような歴史的なプロセスの中で大和朝廷が成立し、全国統一を図ることになります。
権力者は人民に、狩猟ではなく農耕に専心させる思想をつくり出すことが大切です。米がたくさんできるほど権力の富は強大になるからです。“肉食は卑しい、米食は貴い”という思想を一般化する必要がありました。
大和朝廷の成立途上に仏教が伝来したことは好都合でした。仏教には元々は肉食禁止の思想はなく、中国の道教によって食肉禁止の思想が加わったという説もあります。
ともあれ、朝鮮半島を経て日本に伝わった仏教には強い肉食禁止思想が備わっていました。大和朝廷の仏教保護政策は、やがて天武天皇の「殺生禁止令」へと発展していきます。
日本人の肉食を忌み嫌う思想の萌芽(ほうが)は古代に存在していたのです。この後、相次ぐ戦争のため馬を飼うことに忙しく、牛を飼うこともなくなりました。食肉としての牛は禁止されていたのでもちろんのこと、牛乳を供する牛の存在も消えていきます。
奈良時代までは、牛乳を濃縮した蘇(そ)の味を醍醐(だいご)味と呼んだように乳製品は一般的でした。しかし鎌倉時代以後は、牛乳を意味する言葉が文献から消滅しました。肉や牛乳を忌み嫌う発想は1300年も前に発生しており根が深いのです。
筆者たちは、図に示したように、高齢者でも牛乳を飲む人ほど長生きすることを長い間示してきました。欧米では牛乳のメタボリックシンドローム(内臓脂肪症候群)への予防効果も示されています。
それにもかかわらず、“牛乳は悪い”という根拠のないカルト的な説にだまされやすい日本人の心の底には、粗食長寿説が潜んでいるのです。(桜美林大学大学院老年学教授 柴田博)
(2007/10/14)