■糖尿病になりやすい人がすでにいた
≪長寿の遺伝子型≫
前回まで、縄文人や現代人のミトコンドリア(mt)DNAのハプログループ(塩基配列の変異を共有する型)によって、縄文人のルーツを探ってきた。では、mtDNAから、当時の人々についてどんなことが分かるのだろうか。
ミトコンドリアは、1つの細胞内に数十〜数万個存在するエネルギー代謝器官。食べ物から取り出された水素を、呼吸で取り入れた酸素と反応させて、成長や活動に必要なエネルギー(ATP=アデノシン三リン酸)を作り出している。東京都老人総合研究所の田中雅嗣・健康長寿ゲノム探索研究部長は「エネルギー代謝器官という性質上、骨格や顔かたちといった外見的特徴はmtDNAからうかがうことはできないが、体の内的機構とのかかわりは判明しつつある」と話す。
まず注目されるのは、ミトコンドリアと細胞の死(アポトーシス)との関係だ。このアポトーシスの仕組みに関わっているのが、ミトコンドリアのカルシウムイオン濃度。細胞内のカルシウムは、筋肉の収縮や細胞内情報伝達を制御するシグナルで、ミトコンドリアも処理の一翼を担う。しかし、過剰なカルシウムが負荷されると、ミトコンドリアはアポトーシスを誘導するタンパク質を放出、細胞が死に至る。細胞の死は老化やアルツハイマー病、場合によってはがん細胞の定着や発達にもかかわっている。
独立行政法人理化学研究所脳科学総合研究センターの加藤忠史・精神疾患動態研究チームリーダーや田中部長らは、ミトコンドリアのカルシウムイオン(Ca2+)の濃度調節に、mtDNAの2つの塩基配列(8701番目と10398番目)の多型(変異)が関わっていることを突き止めた。それぞれ「A(アデニン)」型と「G(グアニン)」型があり、G型はA型に比べてミトコンドリアのカルシウムイオン濃度が低かった。G型はカルシウム処理能力に余力があると解釈でき、刺激があっても細胞死が起きにくい「長寿」の遺伝子型といえる。
≪勢力拡大≫
この2つの塩基配列がG型となっているのは、ハプログループの「M」系統の集団で、A型なのは「N」系統の集団。MとNは、すべての非アフリカ人の祖先である「2人の女性」の遺伝子型で、現世人類がアフリカを出て世界への本格拡散に成功した集団から生まれた。この集団がアラビア半島南部を経てインド付近まで到達した際にNの集団は大きく2つに分岐し、一部はヨーロッパへと西進、他はM集団と同様に東アジアへと拡散した。
その後、MとN集団は系統樹のように下位のハプログループへと分岐。現代日本人では、約7割がM系統のハプログループ。平均寿命が世界トップクラスであるのもうなずける。
田中部長は、現代の日韓約4000人のmtDNAを解析。各ハプログループと寿命や疾患の関連性についても調べた。日本でみられるハプログループのうち、最も長寿と関連が深かったのは、やはりM系統の「D4a(系統樹のD4のサブグループ)」。D4aが日本人全体に占める頻度(構成比)は約6%に過ぎないが、105歳以上の人では15%、特に100歳以上の男性の約20%がD4aだった。女性でも、100歳以上に占める割合は人口構成比の1・5倍だった。
ハプログループ「D」は、中国大陸南岸から中央アジアにかけての一帯で誕生したとみられているが、現代人でD4aの頻度を地域別にみると、シベリアの11・7%が突出。この地が源郷もしくはD4aの大集団が住んでいた可能性が高い。田中部長によれば、ハプログループ「D」のサブグループは、D4aのほか「D4b」や「D5」も寿命が100歳を超す人の割合が高く、Dグループは全般に長寿の傾向があるという。グラフのように、Dグループの占める割合は縄文人よりも現代人の方が大きくなっている。また現代の東アジアでは、Dは広範囲に分布して人口構成比も最大の集団となっていて、「長寿傾向がある人たちだけに、構成比が高くなっているのかもしれない」。
≪現代病リスク≫
前回紹介したように、縄文時代にすでに日本列島全体に広く分布し、現代の「長寿県」沖縄で人口の4分の1と多数を占める「M7a」は、意外なことに長寿の傾向は認められず、長寿者に占める割合は日本全体での人口比と変わらなかった。「沖縄の長寿は食生活などの環境要因が大きいのではないか」と田中部長は話す。
疾患についてみると、N系統のハプログループ「F」と「A」は日本人に多いII型糖尿病のリスクが高く、特に女性は他の2〜3倍高かった。他方、同じN系統でも、北方系の「N9b」や、縄文人ではみられないが現代日本には存在する「N9a」の集団は、糖尿病や高血圧を引き起こすメタボリックシンドローム(内臓脂肪症候群)や肥満になりにくいことが分かった。やはり女性にその傾向が強く、特に「N9a」の女性は糖尿病のリスクが低かった。
各ハプログループは、氷期と間氷期が繰り返し訪れた更新世の時代から世界拡散の旅を続けた現世人類が、各地域の気候や食糧事情に適応して誕生したと考えられている。
糖尿病リスクが高いハプログループのうち、Aはシベリア(バイカル湖周辺)、Fは東南アジア周辺に存在していた亜大陸スンダランドをルーツにしているとみられ、それぞれの源郷の環境の違いは大きい。簡単には遺伝子変異の理由は説明できず、今後の研究課題だという。
ただ、現代病の糖尿病になりやすい日本人の体質は、過去の厳しい食糧事情のなかで、少ない栄養分で生き延びるように適応して生じたとされる。縄文時代には、すでにそうした体質の人たちが日本列島にいたことは間違いなさそうだ。(小島新一)
(2007/11/26)