【北の脅威の中で 朝鮮戦争60年】(上)

中国が最大の敵だった

北の脅威の中で 朝鮮戦争60年

 朝鮮戦争勃発(ぼっぱつ)60周年を前に、韓国のテレビや新聞で当時の国連軍・韓国軍と中国軍が死闘を繰り広げる熾烈な戦闘シーンが紹介された。戦闘は人海戦術で押し寄せる中国軍に対し、国連軍が白兵戦で立ち向かう激しいものだった。

 あれは“塹壕戦”というのだろうか。中国兵は国連軍陣地の塹壕にまで飛び込み襲いかかる。これに国連軍側は銃剣で応戦する。双方、泥だらけの文字通り死闘だ。

 激戦の末、戦いは国連軍の勝利に終わる。陣地には米国、フランス、韓国の国旗が翻る。国連軍の兵士たちは、散乱する中国兵の死体のそばで「バンザイ!バンザイ!」と歓声を上げる…。

 迫真のカラー映像だった。韓国軍や国連軍にとって朝鮮戦争は、北朝鮮だけではなく中国との戦争でもあったことを、あらためて印象付けるものだ。

 それにしても映像がカラーとは?

 瞬間的に実物映像と勘違いしたのだが、実はパフォーマンスだった。朝鮮戦争60周年を前に、当時の参戦将兵たちを招いて行われた記念行事における、戦闘の再現シーンだった。

 この戦闘は1951年2月13~15日、ソウル近郊の京畿道楊平郡砥平里(チピヨンリ)を舞台にした「砥平里戦闘」として戦史に残っている。

 韓国・国連軍は南下してきた中国軍との戦闘で初めて勝利する。約2万の中国軍に対し韓国・国連軍は約5000。この勝利を機に韓国・国連軍は、怒濤のように攻めてくる中国軍への“恐怖”を払拭し、反撃へのきっかけをつかんだ。

 朝鮮戦争60周年の今年、韓国では“中国の影”がしきりに語られている。過去にはなかったことだ。

 背景には、内外に衝撃を与えた韓国哨戒艦撃沈事件がある。中国は「北朝鮮の犯行」という“真相”から顔をそむけ、国連など国際舞台でも韓国への協力を拒否している。韓国では「中国は無法な北朝鮮をまだかばっている」と不満が高まっている。

 韓国あるいは朝鮮半島にとって中国はどういう存在か-。朝鮮戦争開戦の節目は韓国国民に「ままならない中国」を実感させている。

金政権崩壊、座視できず

 朝鮮戦争(1950~53年)での中国軍の介入は開戦3カ月後だった。6月25日、北朝鮮軍の奇襲で始まった戦争は、3日後の28日には早くも韓国の首都ソウルが陥落。北朝鮮軍は一気に南下し南部の洛東江まで攻め込んだ。

 しかし支援の米軍(国連軍)がソウル西方の仁川に上陸してソウルを奪還。韓国・国連軍は境界の北緯38度線を越えて北朝鮮軍を追い上げ、10月には平壌を占領した。

 しかし、さらに北進したところで中国軍が国境の鴨緑江を越え南下してきた。国境地帯への危機感からくる「自国防衛」が名分だった。だが中国軍は北朝鮮軍とともに韓国・国連軍を38度線の南に押し戻し、翌51年1月にはソウルを再び占領した。

民主統一ならず

 国連は派兵に際し「統一された民主朝鮮の樹立」を決議していた。韓国・国連軍の北進で北朝鮮軍はほぼ壊滅していた。崩壊寸前だった金日成政権は中国の支援で息を吹き返した。中国の介入で「民主的な統一朝鮮の樹立」は実現しなかったのだ。

 戦争の方は、先の「砥平里戦闘」の勝利などで韓国・国連軍が反撃に転じ、3月にはソウルを再奪還。その後、38度線付近で激しい攻防を続けながら休戦会談(51年7月~53年7月)となった。

 当時、中国軍の兵力は「前線に54万、後方の満州に75万いた」という(「中央日報」に連載中の韓国軍の白善●(=火へんに華、ペク・ソンヨプ)将軍回顧録から)。北朝鮮軍よりはるかに多い。中国軍の戦死者は30万以上との説がある。

 また北朝鮮軍にも中国共産党軍出身の兵士が多数加わっていた。最高司令官・金日成自身がそうだったが、抗日闘争や国共内戦を経験した朝鮮人たちで、開戦時に韓国に侵攻した兵力の3分の1は彼らだったという(卜鉅一(ポク・コイル)著「韓半島を覆う中国の影」から)。

 戦争で対中反撃の主役を務めた米第8軍司令官のリッジウェイ中将も「朝鮮戦争は中国軍との戦いだった」と回顧している。

補給弱点、教訓に

 大量の兵力で人海戦術の中国軍は補給に問題があった。それが分かった国連軍は、後に強力な砲兵による集中火力と空からの攻撃で戦果を挙げた。

 中国軍は朝鮮戦争参戦の教訓として、兵器をはじめ軍の近代化を切実に感じ、それが今にいたる軍事力強化のスタートになった。

 中国軍の朝鮮半島への“進駐”は、古代史を除いても高麗時代の元、李朝時代の明、清などにより繰り返されている。60年前の軍事介入は日清戦争以来、約半世紀ぶりだ。歴史的には目新しくない。朝鮮半島はそういう環境、地政学的条件に置かれているのだ。

 朝鮮戦争で補給に難点があった中国軍は、ソウル占領には加わったが、南下は京畿道の南のはずれにあたる平沢止まりだった。

 そのソウルと平沢の中間になる古都・水原で、子供のころ中国兵に出くわしたという韓国人の話を聞いたことがある。「足に大けがをして足をひきずっていたところ、若い中国兵が親切に手当てして包帯を巻いてくれた」と懐かしそう(?)だった。

 記録によると当時の中国軍は、旧日本軍の武器をはじめ装備は貧弱だったが規律はよかった。国共内戦に勝利し、中華人民共和国を建国(1949年)したばかりで「人民の模範になろう」と思想的には意気盛んだったのだ。

統一反対の理由

 金日成の朝鮮戦争を中国が支持、支援したのは当然、朝鮮半島全体の共産化を望んだからだ。そして途中からの軍事介入は、金日成政権の崩壊による朝鮮半島の南北の自由・民主統一、つまり米国の影響下での統一は困ると判断したのだ。

 東西冷戦が始まりつつあった当時、誕生間もない共産中国にとって、金日成政権の崩壊は黙って見ているわけにはいかなかった。

 朝鮮半島問題をめぐる論議で「南北統一に最も反対なのは中国」というのは、今や内外の識者の定説になっている。金正日政権の崩壊を防ぎ分断を維持することが中国の国益なのだ。

 最近、中国批判で人気の作家・卜鉅一氏は「中国は韓米軍事同盟を冷戦時代の遺物とよく批判するが、中国が“血盟関係”などといって北朝鮮擁護と中朝軍事同盟を続けていることこそ歴史的遺物ではないのか。不道徳きわまりない金日成・金正日政権を今なお擁護する中国は、国際的にその道徳性を厳しく問われなければならない」という。

 卜氏は「韓国が中国に対抗するには今も(朝鮮戦争の時と同じく)やはり日米との緊密な協力関係しかない」と力説している。

 あれから60年。「北の脅威」をめぐる現状と対応などをあらためてさぐってみる。(ソウル 黒田勝弘)

2010年6月27日付 産経新聞東京朝刊


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