【デフレで伸びる】変わる経済構造(上)

勝ち残りへ 究極の価格破壊

デフレで伸びる 変わる経済構造(上)

 東京・池袋駅から東武東上線で3駅目の大山駅。駅前の商店街から一歩入った場所に、客足の絶えない居酒屋がある。

 「居酒屋革命 大山総本店」(東京都板橋区)。昨年12月の開業以来、開店時間の午後5時前から行列ができ、80席の店内は深夜まで満員状態が続く。人気の秘密は「焼酎0円」という料金システムにある。つまみなどを2品頼めば麦、米、芋の3種類の本格焼酎が何杯でも無料で飲むことができるのだ。

 たとえば「たこわさ」(380円)と「かにみそ」(380円)ならば、2品の合計代金760円で焼酎が飲み放題となる。近所に住む30代の自営業の男性は「週2回は来る。不況続きで給料が減ったので(焼酎が)タダなのはありがたい」と笑い声を上げた。

 居酒屋が焼酎を0円にして採算が合うのか。オーナー兼プロデューサーの天野雅博は「これまでの居酒屋の発想を否定してみた」と解説する。

 天野は焼酎の原価を40〜50円と見積もったうえで、来店客が飲む量を平均7杯程度と試算した。

 酒代を気にしなくて済む安心感から、多くの来店客がつまみを追加注文する結果、1人当たりの焼酎量は平均以下に収まり、利益が積み上がるという。平均の客単価は2500円。月商800万円をコンスタントに稼ぎ出している。

 参院選前、政府・民主党内でくすぶった消費税増税の論議も、天野は意に介さない。「仮に消費税が10%に引き上げられたとしても問題ないと思っている。競争条件は他社と同じだし、むしろうちの競争力が増して来店客が増えるのではないか」と自信をみせた。

 6月上旬には、中華をテーマにした「吉祥寺本店」や女性限定で日本酒と梅酒も無料の「銀座本店」など4店をオープン。年内に50店まで拡大する計画だ。

 「0円ビジネス」の登場は、既存の飲食店にも揺さぶりをかけつつある。

 焼き肉店「牛角」で知られるレインズインターナショナル(東京都港区)が展開する居酒屋チェーン「土間土間」の琴似店(札幌市西区)。今月7日から焼酎と日本酒、ワインの無料飲み放題サービス(2時間)を始めた。

 札幌市内で有数の繁華街である琴似地区は、居酒屋の激戦区。時間無制限や低価格の飲み放題プランを提供する店も多く、実験的に取り組むことにした。

リスク負った「広告宣伝費」

 平日の昼間でも満室というカラオケボックスがお目見えしている。

 利用者を引きつけるのは最低で「平日1時間当たり2円」の料金設定と、飲み物を1つ頼めば飲食物の持ち込み料金がタダになるサービス。カラオケチェーン「まねきねこ」が全国約300店のうち90%超の店舗で採用する差別化戦略だ。「1時間2円」は事実上の無料といってもいい。

 「昼間に部屋を空けるぐらいならば、宣伝費と割り切った」。運営会社、コシダカ(前橋市)の総務部副部長、大滝広司はこう話す。

 出店にあたって「まねきねこ」は既存の建物を利用し、投資額を抑える。1店当たりの部屋数は平均15程度。大規模店に比べ3分の1から4分の1にすぎないが、この小ささが競争力を生み出している。

 昼間は利用客の注文が少ないため、パート1人でも運営が可能だ。部屋数の少なさは利用客とのコミュニケーションを密にし、リピーターを呼び込む好循環に弾みをつけている。

 その分、稼ぎ時の夜間は最低でも1時間200円に設定している。飲食物の持ち込みは自由だが、2次会、3次会が多く「店内での注文が増えている」(関係者)。午前6時までの営業時間帯の中でパートの人数を調整し、利益を確保している。

 無料化の波は出版界にも押し寄せている。

 講談社は5月12日から6月18日まで作家、五木寛之の「親鸞」上巻をインターネット上で無料で閲覧できるようにした。

 すでに65万部を売り上げた「親鸞」だが、期間中のアクセス数は約42万件。これに比例して書店での売れ行きも伸び、公開前より上下巻とも販売部数が25%以上増えた。講談社は「ネット上の無料公開が実売に結びついた。今後も検討する余地は大きい」と期待を寄せる。

 ただ、行き過ぎた価格競争は際限のない消耗戦を引き起こしかねない。

 昨年10月、大阪・心斎橋。カジュアル衣料品チェーンのジーンズメイトは、新規オープンの目玉として7千〜8千円相当のジーンズを無料で配った。PRが狙いだったが、千円以下の低価格品に対抗する意味合いも込められていた。

 もっとも、その後は実施しておらず、今後の予定もない。「長期的な販売への効果が乏しい」(ジーンズメイト)ためだ。

 極端な戦略の結果、ジーンズメイトの今年3〜5月期の最終赤字は、17億9700万円と赤字幅が前年同期の約10倍に拡大した。8月から正社員の3割にあたる希望退職者を募るほか、最安値である1990円の通常商品について値上げの検討を進めている。

 商品価格をギリギリまで下げなければ売り上げは伸びない。かといって所得、雇用、公的年金など先行きに多くの不安を抱えたままではモノは売れず、製造業や流通業などの企業は疲弊するばかりだ。

 そうした背景から産声を上げた0円ビジネスについて、第一生命経済研究所主席エコノミスト、永浜利広は「消費者の固い財布のひもをこじあける有効策ではある。広告宣伝のひとつの形態といってもよいのではないか」と指摘する。

 一歩間違えば自分の首を絞めかねず、消費者の信頼も失いかねない危惧(きぐ)を内包する0円ビジネス。「デフレの申し子」といえる現象のひとつかもしれない。(敬称略)

 政府・日銀が平成22年度経済成長率を上方修正する一方、デフレ脱却のため、菅直人政権は家計部門への支援や成長分野への投資を目指している。節約志向による価格破壊はどこまで勢いを増すのか。変わる消費現場を追った。

2010年7月26日付 産経新聞東京朝刊


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