紙の本は時代遅れ? 書籍をめぐる攻防を探る。
「書籍1冊か電子データを提供してもらう以外、手間や費用はかかりません。価格や販売国は出版社の皆さんで設定できます」
7月初旬、東京都内で開かれた出版業界の見本市。米ネット検索大手グーグルの担当者が熱弁をふるった。言葉遣いは丁寧で、ブースを埋めた来場者に協力を求める姿勢に徹している。
会場全体に熱気が漂う。米国を中心に急伸する電子書籍が「日本でも間もなく普及する」と見込んだ企業の担当者が押し寄せ、4日間の来場者はおよそ8万7千人。前年を2万人以上も上回った。
グーグルは来年初めまでに日本で電子書籍サービス「グーグルエディション」を立ち上げる方針だ。担当者は全国の出版社に足を運び、「店頭」に並べる書籍の収集に余念がない。
売れた電子書籍の取り分はグーグルが最大49%。残りは著者を含む出版社側がとる。販売サイトを持つ出版社はグーグルの検索画面から潜在読者を誘導できるほか、閲覧データも提供される。紙の書籍を買いたい顧客は書店情報を得られるなど、条件は悪くない。
「読者はいろいろな端末や販売チャンネルから購入できます。購入後は、グーグルのサーバーにある自分の『電子本棚』にいつでもアクセス可能です」
グーグルの訪問を受けたある出版会社社長は「日本企業のシステムで電子書籍を出そうと思ったが、考えを変えた」と明かす。
米国で電子書籍の「2強」と呼ばれる電子機器大手アップルとネット通販大手アマゾン・ドット・コムも、日本語書籍の準備を進めている。本離れが進むとはいえ、日本の書籍・雑誌の年間販売額は約2兆円。参入を目指す企業には魅力的に映るに違いない。
迎え撃つ日本勢の先鋒(せんぽう)はソニーだ。2年前、閲覧専用端末「リーダー」を米国で販売し、配信サイトも整えてアマゾンと競ってきた。一時は3割以上のシェアを占めたが、最近は劣勢を強いられている。それだけに、母国での巻き返しへの思いは強い。
「日本ならではの展開をする」(ソニー幹部)と7月、KDDI、凸版印刷、朝日新聞社の3社と事業会社を設立した。
「プラットホームをいかに握るかが勝負だ」
電子書籍ビジネスの将来について、日本の出版関係者は異口同音に語る。
プラットホームとは、音楽や書籍などのコンテンツ(情報の内容)をそろえて流通、課金する仕組みを指す。運営に成功すれば購入者とコンテンツ提供者を囲い込め、巨額の手数料収入が見込める。米アップルの音楽配信サービス「iTunes(アイチューンズ)ストア」はその典型例だ。
米出版社協会によると、米国の今年上期の電子書籍売上高(推計)は約1億7970万ドル(約150億円)。前年同期の約3倍に膨らみ、書籍全体に占めるシェアも2009年から5ポイント増の8・3%に伸びた。電子書籍のプラットホームを押さえる、アップルとアマゾン・ドット・コムの躍進が背景にある。
「2強」のプラットホームは基本的に自社端末で電子書籍を提供し、課金するもので「垂直統合型モデル」と呼ばれる。電子書籍専用端末「キンドル」を07年に投入したアマゾンは自社通販サイトを活用し、販売額を伸ばした。著者や出版社と直接交渉して紙の本より低価格で売り出し、小売価格の約3割を手数料収入で稼ぎ出す。アップルも音楽配信で成功した手法を電子書籍に応用している。
業界標準のプラットホームを握れば、他社のつけ入るすきはない。
「日本の出版文化が損なわれる」
7月末に設立された電子書籍の業界団体会長に就いた大日本印刷の高波光一副社長は、記者会見でアップルなど米国勢の戦略に警戒感をあらわにした。国内の関連業界は申し合わせたかのように「文化」という言葉を使い、利益を死守したい焦りをにじませる。
米国勢が押し寄せる前に国産プラットホームを普及させようと講談社など31の大手出版社は3月、紙の本との共存共栄を模索する協会を発足させた。
KDDIなどと前出の事業会社を設立したソニーは、プラットホームを他社に開放する方針だ。ソニー側の利幅は小さくなるものの、国内勢による電子書籍の普及を目指し「名よりも実を取る」(関係者)格好だ。電機メーカーではシャープも年内にプラットホームを立ち上げて閲覧用端末を発売するほか、8月にはNTTドコモと大日本印刷が提携を発表した。大日本印刷は10月から、約10万点の書籍をそろえた電子書店を開く。
作家と出版社で作品を練り、印刷会社、取次会社、書店という流れで書籍を提供してきた日本の出版業界だが、米国勢の進出で「根本的に構造が変わるかもしれない」(大手書店)と危機感を強めている。業界としては従来の仕組みを電子書籍ビジネスに持ち込み、いかに共存共栄を図るかに腐心している。
ただ、印刷会社や書店が「個々に生き残りを図ろうとする」(講談社)結果、プラットホームはすでに乱立模様でもある。「『書店発』の電子書籍流通モデルを確立させたい」と紀伊国屋書店は9月、本格配信をスタートさせるほか、セブン&アイ・ホールディングスも参入を決めた。
8月3日(現地時間)、前身を含め約150年の歴史を持ち、全米に700店を展開する米国最大の書店チェーン、バーンズ・アンド・ノーブルが身売りする可能性を明らかにした。電子書籍への対応が遅れた同社のレオナルド・リッジオ会長は「デジタルの流れにはあらがいようがない。戦略を見直すほかない」と、あきらめ顔だ。
出版ビジネスの勢力図を塗り替える破壊力を秘める電子書籍。日本でプラットホーム争いに勝ち残るのは米国勢か日本勢か。熾烈(しれつ)な闘いは始まっている。
アップルの多機能情報端末「iPad(アイパッド)」の登場を契機に、国内で電子書籍の普及が現実味を帯びている。紙の本は時代遅れとなり、書店は姿を消すのか。ビジネスチャンスと存亡の危機を前に、慌ただしさを増す動きを追った。
2010年8月30日付 産経新聞東京朝刊