手塚治虫14歳 天才の原点

プロとして最初の1枚、復刻

手塚治虫

 生涯に15万枚の原稿を描き、ストーリー漫画を芸術の域にまで高めたとされる漫画家、手塚治虫。プロとして描いた最初の1枚を収録した『手塚治虫創作ノートと初期作品集2』(小学館・1万1550円)が今月、刊行された。手塚が旧制北野中学(大阪市)に在学していた昭和18年、14歳の時に描いたもので、出版は初めて。漫画研究の上で貴重な資料となりそうだ。(溝上健良)

 作品集には、手塚の創作ノート12冊の復刻版と、プロとしての最初の1枚を含む小冊子「オヤヂ探偵」、同時期の習作「バリトン工場事件」を収録。小学校時代から鉛筆で漫画を描いていた手塚が、初めてペンとインクを使って描いたのが「オヤヂ探偵」の扉絵とみられる一コマだ。「オヤヂ探偵」は手塚が冊子にして同級生の間で回し読みされたもので、これまで出版されることはなかった。

 描かれたひげ面の男性は、“ヒゲオヤジ”として以後、手塚作品の多くに見られる重要なキャラクター。級友の祖父をモデルにしたとされ、絵柄はすでに後年の作品につながる完成度の高さが見て取れる。一方で、小冊子のコマ割は単純な升目状のものを多用しており、未熟さものぞく。発行元の小学館クリエイティブで編集を担当した川村寛さん(63)は「天才の若いころの素養とそこからの漫画の進化、成り立ちの過程を見て、研究の役に立ててほしい」と話している。

 12冊の創作ノートは「宇宙艇事件」「月世界の生活」(未発表作品)や「ジャングル大帝」「ファウスト」といったヒット作の下書きなど。手塚の没後に残されていたノートをそのまま復刻したもので、表と裏の両方から書き始めたものや天地を逆に使ったものもある。中には大学で受けた医学の講義内容や住んでいた下宿の家賃なども記されており、当時の生活状況がうかがえる。創作に限らず、思いついたことは何でも書き加えていったらしい。

 創作ノートの下書きには後に作品化された漫画と相違点もある。「ジャングル大帝」の“主人公”レオは、下書きの段階では双子として描かれていた。またネーム(コマ割りをした漫画の下書き)の前に、文章で脚本を書いている作品もみられる。

 作品によっては下書きが複数のノートにまたがって描かれているものもあり、相互のつながりを追っていくことで作品が仕上がっている過程を見て取ることができそうだ。解説を寄せた同志社大の竹内オサム教授は創作ノートについて「漫画が好きで好きでたまらない一青年が、自らの作品を壮大な物語に仕立てあげようとした成長のありさまをよく伝えている」と評している。

 創作ノートの復刻について、川村さんは「手塚作品がそれ以後の漫画家に及ぼした影響は絶大で、手塚漫画の研究は日本漫画を研究することに等しいといえる。学術的にも貴重なもので、多くの人に原典に触れてもらいたい」と話している。

【プロフィル】手塚治虫

 てづか・おさむ 漫画家。昭和3年、大阪府豊中市生まれ、兵庫県宝塚市育ち。大阪大付属医学専門部在籍中の21年、「マアチャンの日記帳」でデビュー。37年には、アニメ制作会社の「虫プロダクション」を設立し、アニメ作家としても活躍した。平成元年、60歳で死去。主な作品に「鉄腕アトム」「ブラック・ジャック」「火の鳥」など。講談社から刊行された「手塚治虫漫画全集」は全400巻に及んだ。

2012年2月6日 産経新聞 東京朝刊


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