地獄絵「カルテル」の現場

【土・日曜日に書く】大阪編集長・井口文彦

カルテル

■サラリーマンの犯罪

 1台の乗用車には100個から150個以上のベアリング(軸受け)が使われているという。輪や軸が回転することで走る車は、摩擦を減らしてくれるベアリングがなければ成り立たない。

 この部品が高額だと車の価格も安くならないのだが、ベアリングメーカーは自社の利益のため価格カルテルを結んでいた疑いが浮上した。公正取引委員会は刑事告発する方針で、検察は大手4社の一斉捜索に踏み切った。カルテルの刑事事件化は4年ぶりとなる。

 日本メーカーの精密ベアリング技術力は世界のトップクラス。商品シェアは世界市場の3分の1を押さえるほどだ。用途は自動車、産業機械、電車、医療機器など多岐にわたり、国内の市場規模は年間4千億円。国民生活にとって影響の大きい業界である。

 カルテル。競争を避けたい企業が結ぶ販売価格などの協定を表す、ドイツ語の経済用語だ。一部の例外を除き、自由経済世界で禁じられる違法行為。日本では独占禁止法で禁止されている。海外にも広まった「談合」(公共事業の入札で参加企業が事前に話し合って落札業者や落札価格を決めること)もカルテルの一種である。

 不況になると過当競争を回避したい企業の防衛本能が働き、カルテルが増加傾向になる。公取委は独禁法に基づき行政処分を行うが、悪質なケースは検事総長に刑事告発する。そうなると企業は検察の捜査を受け、裁判を経て刑事罰を科される。ダメージは大きい。

 カルテルは企業犯罪だが、それ以上に「サラリーマンの地獄」と表現したくなる色彩が濃い。

■会社は味方か

 カルテルの実務を行うのは社命を受けた担当社員である。カルテルで利益を確保しても、彼らの懐に入るわけでない。あくまでも業務である。が、ひとたび行為が表面化すれば、彼らは検察の取調室に引きずり出され、会社からは「組織を守れ」と厳命される。

 朝から晩まで検事に調べられ、終われば今度は会社幹部と顧問弁護士から「何を聞かれたか」「どう答えたか」と追及される。揚げ句、「そんなことまで話したのか」と責められる。これが連日続く。心を病む者も出てくる。

 平成7年、日本下水道事業団の発注工事をめぐる談合事件での公取委審査官の聴取。電機各社の担当社員は黙秘を貫いた。うつむき、ハンカチを両手で握りしめていた。審査官が問いかけをするたび、彼らの拳に力が入るのが分かったという。「まるで黙秘カルテル」(審査官)と形容されるほどの強硬な供述拒否の裏には、発注者の事業団の圧力があった。

 官製談合であるこの事件の焦点は発注者の関与。事業団は取引停止をほのめかしながら「誤解を招かれないように」と供述拒否を強いていたのだ。担当社員は当局、自分の会社、そして発注者からも責め立てられていたのである。

■はかなき「個人」

 バブル崩壊以降の長い不況にさらされ、企業は利益確保の圧力を株主からかけられた。カルテルが発覚して課徴金を支払うような羽目になれば、「損を経営者が埋めよ」と株主代表訴訟を起こされてしまう-。経営者はそんな恐怖に襲われ、企業は容易に容疑を認めるわけにはいかなくなった。徹底否認を担当社員に命じた。

 その結果、何が起きたか。社員個人が検察に逮捕されてしまうのだ。否認は証拠隠滅と同様、強制捜査の理由になる。

 「個人は任意調べで在宅起訴」がカルテル捜査の常識だった。「企業犯罪なのに個人の逮捕は忍びない」というコンセンサスは、初めて個人逮捕がなされた平成11年2月の水道管カルテル事件で崩壊した。企業と検察の都合の前に、家族もいるであろう担当社員の処遇は翻弄された。その存在は弱々しく、まことにはかない。

 この年の10月、防衛庁調達本部(当時)発注のジェット燃料入札をめぐる談合事件。容疑の石油元売り大手の担当社員に、検察、会社の双方からの追及に憔悴(しょうすい)し、ろれつが回らなくなる者がいた。「彼が自分の会社から突き上げられているのを知り、同情を禁じ得なかった」。あの厳格な検事がそう漏らしたほどだ。

 だが、彼を含む7社の担当社員9人が逮捕された。20~30代の若手が目立った。彼らはその後、会社に残っているのだろうか。

 カルテル報道はとかく数字の話に陥りやすい。が、実は個人の顔が浮かんできそうなほど人間臭く、理不尽な事件だ。今回のベアリングカルテルもそうだろう。編集者としては、サラリーマンの地獄をリポートすることで、この犯罪に関わることの割の合わなさが伝われば、と願っている。(いぐち ふみひこ)

2012年5月6日 産経新聞 東京朝刊


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