なぜ電力関係者だけ口封じ

【一筆多論】安藤慶太

一筆多論安藤

 仙台市で開かれた政府の意見聴取会で、出席した東北電力の幹部社員が原発を推進する意見を述べたところ、会場が騒然となり、「やらせではないか」と紛糾したそうである。

 事態を受けて政府は電力会社や関連会社の社員による意見表明を認めない方針を決めてしまった。野田佳彦首相は「疑念をもたれることはあってはならない」と述べたそうである。

 このニュースを見ていて、おかしい、と思った。なぜ電力会社の関係者という理由だけで意見表明が制限されなければならないのだろう。

 この意見聴取会は将来の最適な電源構成を模索するために開催されたものだ。震災後、原発への風あたりは強いがなお原発は、電気の安定供給に欠かせない存在だ。再生エネルギー、クリーンエネルギーへの期待はあるが直ちに原子力発電に代わる安定性はない。努力を否定はしないが、まだまだ壁があって原発と同じようには任せられないのだ。

 こうした会合に参加して自分の知識、経験や知見を生かしたいと思った電力会社の関係者がいてもおかしくはないだろう。

 世の中には震災後、電力会社に反感を持ったり、厳しい視線を注ぐ人たちは多い。電力会社の社員家族で肩身が狭い思いを味わっている人も少なくないはずである。それをあえて自らの素性を明かして自分の考えを述べたのだ。それは、意を決しての発言だったのではないか。そう察している。

 聴衆はそうした意見を聴いたうえで、自由に是非を判断できる。「なるほど原発は必要だな」と思う人もいれば、電力会社の関係者の発言であることを理由に割り引いて考えることだって可能だ。

 ところが、電力会社に所属するという理由だけで意見表明できない、となると全く違う話となる。発言を聴いた上で、是か非かを判断するのではない。発言する機会自体をなくすという話だからこれは言論封殺にほかならない。これ以上の理不尽はない。

 意見聴取会に集まった聴衆のなかには、反原発の立場の組織に属する人たちだっていたはずである。

 「反原発でなければ、人にあらず」。こうした「同調圧力」を会場に醸し出す。これは反原発派にとって不可欠な状況に違いない。党派性を帯びたセクトから送り込まれた活動家だって潜り込んでいただろう。

 あらかじめ自分たちの主張を横断幕やプラカード、ビラにしたためて用意周到に臨む活動家がいてもおかしくはない。会議の前半はおとなしいが、後半から終盤になると突如豹変(ひょうへん)し、反原発的な機運を醸成するよう会議をかき回し始める。この手の会合ではよくみられる光景だ。

 「国民的な議論」の実態の怪しさを正すというのであれば、それがお咎(とが)めなしなのはおかしい。なぜ電力会社の関係者の発言だけ問題視されるのか。いっそ、意見聴取会を反原発に利用しようと集まっている人たちも素性を明かしてくれればいいのに、と思う次第だ。(論説委員)

2012年7月23日 産経新聞 東京朝刊


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