オウムが食い物にした砂の国

【土・日曜日に書く】モスクワ支局長・佐々木正明

砂の国

 オウム真理教の残党が、かつて一大拠点だったロシアでも、教団への帰依心を捨てきれずにいる。麻原彰晃死刑囚を今も「グル」とあがめたてる信者たちが熱心な修行と布教活動を継続している。

 ロシアの治安当局者らによれば、教団にはモスクワなど幾つかの拠点や道場があるといい、近年、ロシアやウクライナで信者数は増加傾向にあるという。

 ≪「麻原尊師に祈りを」≫

 「aum-sinrikyo.com」と題したロシア語のサイトが存在する。麻原死刑囚の写真や似顔絵がふんだんに盛り込まれたトップページには一番目立つ位置に、麻原死刑囚自身が歌う教団ソングの動画が紹介されている。

 教団にまつわる世界中の情報が拾い集められ、先に逮捕された高橋克也容疑者の最新ニュースもアップデートされている。さらに約30冊の教団の書籍と、約3時間分の麻原死刑囚の説法ビデオも無料ダウンロードできる。一字一句がロシア語に翻訳されている手の込みようで、ネット技術にたけた信者がサイトを管理し、多大な労力をかけ情報を更新しているのだ。

 別の投稿サイトには、麻原死刑囚の近況を知らせる日本の新聞が引用され、ロシア語でこんな言葉が残されていた。

 「麻原尊師が生きていた! 長引く危機を乗り越えるために必要なパワーが尊師に授かるよう一緒に祈りをささげよう」

 ≪ソ連消滅につけこむ≫

 教団にとってロシアは武装化を図る上で牙城だった。モスクワ支部が設立されたのは1992年。教団はラジオ局で毎日1時間、テレビ局では毎週30分の枠を獲得し大宣伝作戦を展開した。エリツィン大統領の側近に取り入って大量の金、人を注ぎ込んだ。

 イデオロギーの崩壊、そして治安の悪化。突然、到来したマネー競争に多くの人が戸惑い、救いを求めていた。麻原死刑囚はあざとくソ連消滅後の社会の動揺に目をつけたのだ。街頭で無料で配る日本製のモノで人々を釣り、「修行すれば苦悩から解放される」と呼びかけた。3年間で約3万5千人の信者を獲得し、信者は軍関係者や治安当局者の間にも広がって、教団の武器調達を容易にした。

 元モスクワ支部長で今は、教団から分派した「ひかりの輪」の代表を務める上祐史浩氏が露メディアの取材にこう答えている。

 「あの頃は、教団が最も成功した時期でした。ロシアでは社会主義が終焉(しゅうえん)を迎え、宗教に対する人々の興味が芽生えていた。教団はその状況を利用したのです」

 地下鉄サリン事件は、混迷化したロシアへの進出がなければ起こせなかったのではないだろうか。

 ≪プーチンが抱く悪夢≫

 新潟県立大学の袴田茂樹教授は広大な国土に多民族が共存するロシアは、そもそも砂のようにサラサラと流れ動く特性を持ち、帝国主義や共産主義のような「規範」で固め、一定の枠で囲わなければ、国家としてまとまらない宿命を持っていると分析している。

 90年代のロシアは市場経済化という砂嵐が吹き荒れ、国が大きく揺れ動いていた。オウムは強風で吹き飛ばされた一粒一粒の砂を吸収し、外部から容易に手出しできない聖域を構築したのである。

 その後、社会を固める“セメント”の役を担ったのはプーチン大統領その人であり、ロシア正教だった。21世紀に入り、主要輸出品の石油・ガスが高騰。国家収入が増えた結果、風は凪(なぎ)となり、一定の平穏がもたらされた。人々はプーチン氏についていけば、生活が安定すると信じた。

 一方、「宗教はアヘン」と見なすソビエト政権によって徹底的に弾圧されたロシア正教は、目に見える形で復活を遂げた。独裁者スターリンによって爆破された教会が各地で再建され、人々が伝統的宗教心を取り戻した。プーチン政権が国民の統一を図る手段として、ロシア正教の権威を積極的に活用したことも大きかった。

 しかし、その2つのセメントも劣化し始めている。汚職がはびこり、仲間内だけで国を牛耳る目眩(めくら)ましの安定に都市部中間層が気づき、「プーチンは国家の泥棒」などと痛烈な批判を浴びせ始めた。

 弱者を救済するはずの正教会のキリル総主教は3月、約3万ドルもする高級腕時計を身につけ、公表写真には時計がなかったようにモザイク処理されていたことがわかった。「神の奇跡」と露骨なプーチン支持を行う総主教に人々が嫌悪感を抱くきっかけになった。

 政府は今、亀裂の入った社会を強権という枠で締め付け、総崩れさせまいと躍起になっている。教団が闊歩(かっぽ)した時代の悪夢がプーチン氏の頭の中にあるのは確かだろう。しかし、内圧が高まれば高まるほど、砂の国は自己崩壊に陥ることも歴史は証明している。(ささき まさあき)

2012年7月29日 産経新聞 東京朝刊


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