「民意」に逃げ込まぬ政治

【一筆多論】小林毅

民意

 最近「民意」という言葉が気になってしかたない。

 政府が2030年代の原発稼働ゼロを打ち出したこと、直後にその閣議決定が見送られたこと、環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)への参加の遅れもそう。あれも民意、これも民意、どれも民意を尊重した結果といわんばかりである。

 一つの問題に全ての有権者が満足する解など存在しない。政治に携わる限りは、有権者の意に反していても、やらねばならないことがあるのは当然だ。

 ところが、民主党政権は票を失うことを恐れて、その場しのぎの決定や問題先送りを続けている。今や日本の政治の代名詞になった「決められない政治」の後ろに政治家を振り回す民意の存在がすけて見える。

 自民党も、原発やTPPで民意との間合いを計りかねているようだ。民意を形成する当の国民の方が、このことにとっくに気づいているから、政治不信は募るばかりだ。

 「民意と政治家」といえば、ドイツのコール元首相を思い出す。在任は西ドイツ時代の1982年から、東西統一後の98年まで16年に及ぶ。そのコール氏が翌年に選挙を控えた97年に、外国の経済関係者との会合で語った話がある。

 コール政権は欧州通貨ユーロへの参加を決めるさい、フランスやデンマークのように国民投票を実施しなかった。法律上は議会手続きだけでよいのだが、コール氏は「自国通貨を棄(す)てるのだから、国民投票で賛否を問うてもよかった。しかし、私はその選択をしなかった」と述べたのだ。

 当時のドイツ国民の自国通貨マルクへの思いは日本人の想像を超える。私自身、94年にベルリンやミュンヘンの街頭でドイツ人に自国の誇りは何かと尋ねたところ、ベートーベンよりもゲーテよりもマルクと答えた人が圧倒的に多かったことに驚いた経験がある。

 そのマルクの放棄だ。国民投票を行えば、導入反対が多数を占める可能性が高かった。コール氏はそれがわかっていたからこそ、議会手続きだけで導入を決めた、というのである。

 あのとき、ドイツがノーといっていたら、ユーロ構想そのものが崩壊していただろう。ユーロ導入は欧州統合の必要条件との信念を持っていたコール氏は、国民の思い、民意に反する決断をしたのである。まぎれもない「政治の意志」だった。

 今、債務危機に揺れる欧州はユーロ崩壊の淵(ふち)に立たされているといってよい。しかし、欧州中央銀行、欧州委員会、ユーロ諸国がそれぞれの立場でユーロ防衛に尽力している。そこで採用された施策には、市場や国民の反対も多い。それを押さえ込んでいるのは「ユーロを守る」という欧州の政治の意志だ。そして、その意志を最初に示したのがコール氏なのである。

 もちろん、民意は尊重されるべきものである。しかし、政治家が民意に逃げ込んで決断を避けるケースが今の日本には多すぎる。そこから政治の意志など見えるはずもない。(論説委員)

2012年9月24日 産経新聞 東京朝刊


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