教科書に載った菅元首相

【視線】政治部編集委員・阿比留瑠比

視線

 文部科学省が3月26日に公表した来春から使用される高校教科書の検定結果を見ると、当然のことながら平成23年3月11日の東日本大震災と福島第1原発事故への言及が目立つ。

 その中でも、当時の菅直人首相に関する記述に、首相官邸で取材をしていた1人として深い感慨を覚えた。例えば歴史の教科書には、こんな記述がある。

 「震災処理の不手際もあって菅内閣は同年8月に総辞職に追い込まれ、かわって野田佳彦が組閣した」(日本史A)

 「菅内閣は、放射能汚染の情報を十分に国民に開示しなかったことや、復興計画の立案と実行が遅れたことから、国民の批判を浴びて倒れた」(日本史B)

 菅氏を支えた元首相秘書官によると、菅氏は在任時、口癖のように度々こう語っていたという。

 「俺は歴史に名を残したいんだ」

 その夢はかなったというわけだ。菅氏は今や歴史上の人物として高校生が学ぶ対象となった。目指すべき手本としてではなく、反面教師としてかもしれないが。

 また、菅首相は内閣総辞職にあたって「歴史がどう評価するかは後世に委ねる」とする「首相談話」を発表したが、評価は菅氏の予想より早く定まったようだ。

 中曽根康弘元首相が繰り返し指摘してきた通り、「政治家は歴史法廷の被告」であるし、国のトップたる首相であればなおさら国民の視線は厳しいのも当然だろう。

 民主党の党改革創生本部がまとめた「総括」でも、昨年12月の衆院選大敗の理由について「トップによる失敗の連鎖が続いた」ことを挙げている。ここでも菅氏の重大な責任は免れようがない。

 にもかかわらず、肝心の菅氏にその自覚も潔さも反省も一切みられないのが残念でならない。党改革創生本部の会合には可能な限り出席し、「自身に対する直接的な批判が『総括』に盛り込まれないよう目を光らせていた」(党幹部)という。

 そこには、「歴史法廷の被告だ」という覚悟はうかがえない。むしろ、民主党内から聞こえてくるのはこんな話ばかりだ。

 「菅さんは2月に自宅を新築してご機嫌だ」「反原発で市民運動家の原点に戻り、非常にすっきりしている」

 実際、菅氏は自身のブログで何度も最新省エネ技術を駆使した新居について、こんなふうに取り上げている。

 「新居のエネルギー自給ができるかどうかは少しデータが蓄積されないとはっきりしないが、二重ガラス窓の断熱効果は顕著だ」(2月25日付)

 「エコ住宅の我が家を『エコカンハウス』と呼ぶことにし、時折エコカンハウス報告を載せるつもりだ」(3月3日付)

 「(週刊誌)アエラに、我が家が『脱原発ハウス』と紹介された」(3月25日付)

 確かに、自分のお金を何に使おうと家を建てようと自由だし、うれしいのは理解できるが、少しはしゃぎすぎではないか。

 菅氏の首相時代に起きた震災と原発事故により、いまなお約31万人が避難し、11万人以上が狭小な仮設住宅で不便な生活を強いられているのである。

 首相退陣後の菅氏は、事故の最高責任者として被災地を回るのではなく、個人的趣味の四国霊場八十八カ所巡りを再開した。結局、国民や被災者よりも、自分探しの旅の方が大切なのだろう。菅氏自慢の「エコカンハウス」の「エコ」は、「エゴ」の間違いなのではないかとすら感じる。

 「鳩山由紀夫元首相と菅氏の名前は、できるなら日本の政治史から抹消したい」

 政治評論家の屋山太郎氏はこう語る。だが、その名は、ある意味で長く語り継がれることになりそうだ。(あびる るい)

2013年4月1日 産経新聞 東京朝刊


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