「国民の憲法」が示したもの

近藤 豊和

東京正論調査室長
こんどう とよかず
近藤 豊和
昭和63年入社
東京編集局仙台総局、2年社会部、10年海外留学生(米国)、12年社会部、13年外信部、15年ワシントン支局、18年産経デジタル編成本部速報部担当部長、21年編集局社会部長、23年編集長、25年大阪編集局次長、27年東京正論調査室長

安藤 慶太

東京正論調査室雑誌「正論」編集委員
あんどう けいた
安藤 慶太
平成2年入社
東京編集局水戸支局、5年夕刊フジ編集局第一編集部、8年東京編集局社会部、12年前橋支局、14年社会部、19年正論調査室雑誌「正論」担当編集部次長、23年社会部編集委員兼論説委員室論説委員、25年正論調査室雑誌「正論」編集委員

「知らないからこそできた」?! 事務局作業

平成25年4月26日、産経新聞創刊80周年記念事業のひとつとして「国民の憲法」要綱が発表された(産経ニュースに全文掲載)。全12章117条に及ぶ要綱は、既存の憲法観に過度に縛られることなく、かつ現在の世界情勢に即した、全く新しい日本の憲法の形を示すものだった。外部有識者による起草委員会は前年の3月26日に東京本社14階の大会議室で最初の会議を開いて以来、25年4月までに計27回も開催された。

「憲法や法律のことを詳しく知らないからこそ、思い切りよくやることが出来たのかもしれない」

起草委員会事務局の責任者を務めた東京本社編集局編集長(当時)の近藤は振り返る。近藤らが実質的な「国民の憲法」起草準備に取り掛かったのは24年の年初のことだった。編集局、論説委員室、正論調査室の3セクションを軸に、役員から中堅、第一線で活躍する記者の十数人で構成する事務局を立ち上げた。そして、起草委には、委員長を務めた田久保忠衛杏林大学名誉教授をはじめ5人の専門家が顔をそろえ、議論がスタートした。

事務局も起草委メンバーと同じテーブルについて意見を述べた。事務局の全員が必ずしも憲法に精通している訳ではなかったため、日々の勉強は欠かすことができなかった。知識不足を痛感したり勉強したことが上手く身につかなかったりと苦い思いを味わいながらの作業が続いた。

平成24年3月26日に開かれた「国民の憲法」起草委員会の初会合

濃密だった起草委の議論

起草委の討議時間は毎回、4時間以上に及んだ。事務局は、会議以外の時間も会議中に記録されたビデオやテープをもとにした議事録作成や委員会メンバーとの日程調整などに追われた。その間に使用された資料や議事録をあわせると、ダンボール箱数十箱になる。特筆すべきは、起草委のメンバーに毎回一人の欠席もいなかったこと、事務局の作業が通常の編集業務と並行して行われたことだ。

近藤によれば、毎回の起草委の議論は濃密を極め、事務局メンバーもつられるかのように所属する部局の「本来業務」をこなしながら、起草に向けて熱心に作業を続けた。佳境では連日未明まで解説文執筆などを続け「夜勤明けや、時には代休をもつぶして奮闘する姿には同僚として頭が下がった」という。

しかし、事務局メンバーのひとり、社会部編集委員兼論説委員(当時)の安藤は、こういった過程を「大変なことだとは捉えてはいなかった。だって事務局というのはそれが仕事だから。もともとそういう役割なんだ」と淡々と述懐する。

蒔かれた種が芽吹く時

憲法問題は、産経新聞社にとって長い間の重要テーマのひとつだ。昭和56年元日の主張(社説)で現行憲法の欠陥を指摘して以来、一貫して憲法改正の必要性を紙面で訴えてきたという歴史がある。近藤、安藤のみならず、社員の中には、国のありようについて危機感を抱いている者が少なくない。「国民の憲法」を作るというアイデアは、現在の日本の閉塞感を打破したいと願う彼ら彼女らの思いが形になったものでもある。

加えて近藤には、「国民の憲法」要綱の発議によって新聞の存在感を今一度アピールしたいという狙いもあった。近藤はこう確信している。

「確かにインターネットやテレビには新聞には真似できない速報性がある。しかし、報道・言論機関としての核心的役割を担い、重責を果たすことができるのは未だに新聞だけだ」

要綱発表後、読者などから200件を超える意見・感想が寄せられた。8割が励ましや肯定的な意見だった。痛烈な批判もいくつかあったが、それらも産経新聞がこれまでに主張してきたことが具体的に要綱に盛り込まれていることを証明する結果となった。しかし、安藤は今回の発表が世の中を変えたとまでは思っていない。

「(発表自体は)それこそ戦後の矛盾を見直すほんの小さな一歩のようなものかもしれない。それでも、新聞社がひとつの形あるものを創りだしたという事実は変わらない。何らかの種は蒔けただろう」

この種が芽吹き、自身が学生の時に産経の論調に触れた時と同じような衝撃や気付きを、今の若者たちが抱いてくれることを安藤は期待している。実がなるまでには相当な時間がかかりそうであるという点に関しては、近藤も「憲法が根本的に変わったといえるようになるのは、今の若い世代が齢をとってからになるだろう」と考えている。それまでには「国民の憲法」の第2次改訂版、第3次改訂版が発表されているかもしれない。

「国民の憲法」が示す新聞の未来

「国民の憲法」の作業を通じて、近藤と安藤がともに得難い経験だったと感じたことがある。部局や世代を超えた「オール産経」ともいえるチームが機能し、ひとつの企画を成し遂げられたことだ。全てのメンバーが、近藤を軸に各々できることを能動的に行い、チームの士気も全員で良いものを作っていこうと自然と盛り上がっていった。通常の業務では気づかなかった各メンバーの長所も発揮され、改めて産経新聞社の人材の豊富さを実感することもあった。更に要綱発表後も、産経新聞出版や事業局・販売局との連携をとることができた。

近藤は、今回の企画をマイルストーン(一里塚)として、部局横断的つながりを今後も継続していく必要があると感じている。

「編集も事業も販売も営業もデジタルも横の繋がりで気付きの部分を共有していかなければ、これから一企業として生き残っていくことすら難しくなるだろう。かつてアポロ計画が実行されたことで、ロケットだけでなく、服や食料までもが進歩したように、良い効果をダイナミックに広く波及させていきたい」

組織の変化と同時に個人の変化も必須だ。SNSなどの発達で誰もが情報を発信することができるようになった今、臆することなく精度の高い記事を書かなければ、商品価値あるコンテンツを産み出すことはできない。それは今後、新聞の表現媒体がどのように変化していこうとも不変の事実だろう。

産経の「国民の憲法」は、将来の日本の姿だけではなく、新しい時代の新聞社の姿をも示しているのかもしれない。

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