メジャー担当の最高峰

田代 学

東京サンケイスポーツ編集局運動部
一般スポーツ担当部長

たしろ まなぶ
田代 学
平成3年入社
東京サンケイスポーツ編集局運動部、8年私費留学(米国)、9年運動部、13年ニューヨーク駐在、東京サンケイスポーツ編集局運動部次長、26年運動部一般スポーツ担当部長

メジャー担当のハードな日常

ニューヨーク時間の午前0時、田代学は原稿を書き始める。日本との時差は13時間。日本の紙面づくりに合わせるため、執筆に取り掛かるのは大体この時間からだ。夜が明ける頃、原稿があがる。朝食後、休息をとり、球場に出向き取材を行う。そして、また日付が変わったころ、原稿を書き始める。

田代は、メジャー担当記者に必要なものは「体力」であると語る。米国で活躍する日本人選手は現在16人。田代は彼らの取材をほぼ1人で担当している。選手はアウェーなら3日、ホームでの試合であれば6日間は同じ場所に留まることができるが、田代は日本人選手の出ている試合を取材するため、全米各地を移動し続ける。

ニューヨークにある米国の野球取材拠点に顔を出す暇もなく、自宅、空港、球場の3カ所を移動し続ける日々。「飛行機の中ですぐパタンと眠れるとか、ホテルで1、2時間寝たら取材に行けるとか、そういうふうじゃないとメジャー担当はまず一年もたないと思う」というほどハードな生活だ。シーズン中は米国中を回り続けるため、家族と触れ合うこともあまり出来ない。田代はそんな生活を13年間続けている。それでも、「仕事はずっとやりたかったことだから」と淡々と話す。

スポーツをみたい一心で、記者に

田代がスポーツ記者を志したのは学生時代、米国留学中のことだった。留学先で観戦したメジャーの試合に魅了された田代は、スポーツを見ることを仕事にしたいと思い、産経新聞社に入社した。入社試験の際からメジャーの記者をやりたいとアピールしていたと当時を振り返る。

入社後は2つの国内球団の番記者を経験する。番記者の仕事は担当している球団の監督、オーナー、1軍、2軍選手の全てを把握することだ。取材を行うために必要なのは選手、監督との信頼関係。築くコツは「何度も足を運ぶこと」にあると言う。

新人の頃、番記者になりたての田代は、担当球団の選手寮に行っても相手にされなかった。だが、何度も通ううちに、顔を覚えられ、いつの間に、寮の食堂で選手と一緒に昼食を食べるようになったという。

二つ目の球団を担当した後、田代は1年半、アメリカの大学に自費で留学をする。帰国後は、長野、シドニーの両五輪を経験し、シドニー五輪ではマラソンの高橋尚子選手の担当記者になり、金メダル獲得の記事を書いた。

入社以前からの夢が叶ったのは平成13年。きっかけは現在マイアミ・マーリンズで活躍するイチロー選手のシアトル・マリナーズ移籍であった。それ以前、メジャーでプレーする日本人選手は投手だけだった。投手は毎日試合に出場することはないので、日本からの報道陣の数も少なかった。しかし、外野手であり出場機会が多いイチロー選手を取材するためには、米国に常駐する記者が必要になる。その大役が田代に回ってきた。入社から10年が経過していた。

未踏の地を踏み進む

全米野球記者協会(The Baseball Writers Association of America 略称BBWAA)は米国の野球記者で構成される団体である。現役選手への賞の授与、米国の野球の発展に貢献した選手、野球関係者などへの表彰選考を行っている。会員にはメジャー30球場にアポイントなしで入場できる特権が与えられる。

平成13年、田代は日本人として初めて入会を認められた。会員になる際、田代は当時のBBWAAの事務局長に「米国の記者と同じようにメジャー全体に関心をもち、日本人選手だけの取材は避けてほしい。伝統と権威のある協会の一員としての自覚を持ってほしい」という言葉をかけられる。

田代は事務局長の言葉を守り、現地記者と変わらない取材を行うように心がけた。現地記者とも食事を共にし、時には家族ぐるみの付き合いをしながら交流を深めていく。記者だけでなく、選手や監督にも田代は知られるようになっていった。「顔と名前を覚えてもらえるのが嬉しかった」と田代は当時を回顧する。


平成23年、田代にとって嬉しい出来事が起きた。10年間の現地での活動が認められ、BBWAAが選考する賞の投票記者に、日本人として初めて加えられたのである。殿堂入りの選手を決められる投票権を取得することは米国の野球記者にとって名誉とされる。田代が現地で認められた瞬間であった。その1年後、田代は会長からの依頼で、同協会の理事にも就任する。「こっちで助けてもらってきた恩返しをしたかった」。田代は受諾した理由をこう振り返る。

スポーツ記者の魅力

昨年、田代は「サンスポ50周年企画 National Pastime ~遥かなる野球大国を訪ねて~」(SANSPO.COMに掲載)という連載を担当した。野球文化がどれだけ米国で根付いているかを紹介する企画である。毎週、米国各地に赴き、元選手や球団関係者のもとや、スタジアムなどの施設に足を運び、取材をする。もちろん、普段の仕事もこなしながらの連載である。目を回すほどの忙しさだった。

それでも田代は「去年が一番楽しかった」と振り返る。取材対象には田代が少年時代、テレビのメジャー中継で活躍をしていたヒーローも含まれていた。憧れの人に実際に会えてワクワクしない人間などいない。田代は少年時代からの疑問をヒーローにぶつける。取材は和やかに進んだ。

「スポーツ記者の魅力は、試合を自分が見て聞きたいと思ったことを直接、本人にすぐあてられる(質問できる)ってこと。観客席にいると、『あそこでどうしてあんなプレーをしたのか?』と思うことあるじゃない。それを試合が終わったら本人にすぐ聞くことが出来るっていうのは記者の魅力だね」

そう語った田代の横顔は、純粋な一人の野球ファンのそれだった。

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