大阪初「女子マラソン」の号砲

1981年、首都東京で、日本初となる女子マラソン大会が開催された。先を越された大阪では、女子マラソン開催の機運が高まった。翌1982年、大阪初の女子マラソン大会「大阪女子マラソン」が産声をあげ、その後「大阪国際女子マラソン」と名を変えて、2016年には35回目の開催を迎えた。国際大会の代表選考を兼ねる同レースでは毎年、多くの選手たちが熱走を繰り広げ、数々のドラマを生んできた。その舞台裏を、産経新聞社は如何にして支えてきたのか。そこには、創生期から現在に至るまでの、地道な苦労の歴史があった。

「成功して当たり前」のイベント

吉田 勝彦

大阪事業本部大阪事業部
よしだ かつひこ
吉田 勝彦
平成3年入社
大阪事業局配属。現在大阪事業部企画委員

今夏に迫ったリオデジャネイロ五輪の代表選考を兼ねて行われた今年の大会。超ハイペースの展開で有力選手が次々と脱落していくサバイバルレースを、2時間22分17秒という好タイムで制し、優勝を飾ったのは、福士加代子選手だった。同じ日には、約6000人が参加する一般向けのハーフマラソンや、会場での食のイベントなども開催され、今や大阪国際女子マラソンは「複合型マラソン大会」として、多くの人々を巻き込む大阪の一大イベントとなっている。

「大のスポーツ好き」を自認する、事業本部大阪事業部の吉田勝彦は、1997年以降、20年近くこの大会の運営に携わってきた。「選手が最高の結果を残せる場を作ることが、我々の仕事」と吉田は語るが、複数の同日イベントがあることから、大会の全体運営は一筋縄にはいかない。また、フルマラソンは関西テレビの生中継が入るため、突発的な事故は、取り返しのつかない事態を招く。

そんな「何が起こるか分からない」イベント事業だが、吉田は「成功して当たり前。選手たちに最高の場を提供し、観客には楽しんでもらう。ピンチがあっても、それを表に出さずに成功させるのがプロ」と飄々と語る。

大会準備は、毎年1月の最終日曜日に行われる前回大会終了後、すぐに始動する。吉田は全国各地の女子マラソン大会に赴き、情報を収集する。様々な大学へ足繁く通い、有望選手の情報収集、選手誘致にも1年かけて取り組む。さらに、毎年11月から1月は多忙を極める。本社の事業チーム内や関西テレビの関係者と、膝を突き合わせ議論を重ねる日々が続く。

「産経新聞社が運営する事業のなかでも、最も注目度の高い事業のひとつ。毎年大変だが、魅力ある仕事だ」と笑顔で語る吉田。そして、じつはその魅力の背景には、単なる事業の枠組みを超えた、産経新聞社と大阪国際女子マラソンとの共生の歴史がある。

マラソンブームの一助に

今でこそ、マラソン大会は全国で開催され、プロ、アマ問わず多くの女性ランナーが参加しているが、創生期の女子マラソンは、市民権を得た競技とはいえなかった。81年に東京で日本初の女子マラソンが開催されたとはいえ、一般的に女子マラソンは一部のトップ選手のみが参加する「エリートスポーツ」(吉田)と捉えられていた。

82年の大阪女子マラソン初開催に先立ち、産経新聞社は主催者として行政と大阪陸上競技協会とともに準備に取りかかったが、その準備はまず、出場選手を育成・確保するところから始まったという。開催当初、80年代における日本女子マラソン界のレベルは決して高いとはいえず、82年の第1回大会から、91年の第10回大会までの優勝者は全て外国人選手で占められた。ようやく初の日本人優勝者が誕生したのは第11回大会、小鴨由水選手だった。

小鴨選手の後を追うように、他の日本人選手も徐々にではあるが、世界への躍進を始めた。その影には、女子マラソン創生期から、選手育成や大会招致を担ってきた関係者の努力の歴史があり、産経新聞社もその一端を担った。現在のマラソンブームについて吉田は「エリートマラソンの存在が注目されたことが、今日の市民マラソンの活性化に繋がった」と指摘し、創生期から女子マラソンを支えてきた組織の「今」を担う存在としての矜持をにじませた。

全社を挙げた取り組み

大会当日は、産経新聞社の社員が主要コース沿線に“警備責任者”として配置され、マラソン開催に伴う交通規制や迂回路の説明を行っている。大阪府警の警察官がドライバーへの対応に回ると、本来の警備業務に手が回らなくなるためだ。当日の大会運営には3000人を超えるボランティアやスタッフが参加しているが、警備責任者だけは社員を配置している。

「大幅な交通規制を強いるマラソン大会の開催が市民全員の理解を得られているわけではない。意見や苦情が寄せられた場合、臨機応変に対応するのは、主催者である産経社員の責務」という考え方が根底にある。大会のマラソンコースは、大阪市内の名所を広く回るルートで構成され、広範囲で交通規制が敷かれる。「市民の協力なしには、大会は成立しない」以上、市民の協力を得る責任を負っているのは主催者、というわけだ。

大阪国際女子マラソンの「これから」

毎年の事業運営に対して、吉田は独自の意見を持つ。「現状を維持するのではなく、根本的な軸(コンセプト)は大事にしつつ、時流に合う形で意識的に変えていかなければならない」。変革の必要性を訴えたうえで、吉田はさらに「イベント事業では、マニュアルをつくり、こなすことも重要だが、予期しないことに対応する判断力が大切。場数を踏まなければ、その能力は養われない」と、後進育成の必要性を強調した。

80年代にはマイナースポーツであったマラソンは、今や「誰でも参加できる市民スポーツ」として定着した。全国で市民マラソン大会が乱立し、趣味で楽しむ程度から、大会参加を目指し日々練習に励むランナーまで、多くのランナーがマラソンを楽しんでいる。

吉田は、市民マラソンの広がりを歓迎しながらも、都市型の大マラソン大会が増加するなか、先輩たちから受け継いできた「大阪国際女子マラソン」の国内唯一の純粋な女子エリートマラソンとしての価値を高め、後世に残していくためのかじ取りをしていかなければならないと感じている。

2020年には、東京で56年ぶりの五輪が開催される。「大阪国際女子マラソンの優勝選手が、東京五輪でメダルを取ってくれたら、これに勝る喜びはない」―吉田の願いは現実となるか。

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