
中国戦で先制ゴールを挙げ喜ぶ日本代表の選手ら
ドイツW杯で優勝した「なでしこジャパン」は、それまで全くといっていいほど記事になるコンテンツではなかった。それがこれほどまでにフィーバーするとは。2011年7月17日に米国を破ってW杯を制したあとは連日、1面級の扱い。次は9月1日からの中国での五輪予選。サンスポ内ではどの記者が現地に派遣されるのか気になるところだった。
8月上旬、取材申請締め切りの3日前ぐらいだっただろうか。なんとサッカー担当でもない自分が派遣されることが決まった。最初ははっきり言って不安しかなかった。移動予定日の8月28日から帰国予定日の9月12日まで約2週間に及ぶ海外での長期滞在。海外はもちろん初めてではなかったが、2〜3日行ってくるのとはわけが違う。何よりも、ここまで膨れ上がってしまった「なでしこフィーバー」の中、百戦錬磨の他社取材陣に交じって取材するのはかなり難しいことが分かりきっていた。なにせ3年目のぺーぺー記者なのだ。正直いって考えられない事態だった。しかし、尻込みしている場合でもなかった。

女子サッカー・ロンドン五輪アジア最終予選で、中国・済南に到着した澤穂希選手

北朝鮮戦を前に実戦形式の練習に励んだ選手ら
9月1日の初戦に向けて飛び立ったのは8月28日。チームとは別の便で関西空港から中国・済南に向かった。済南は北京より東にある田舎町。このような取材の機会でもなければ、旅行などで訪れることは絶対にないであろう場所だが、そういうところに行く経験ができるのもこの仕事の魅力だ。
最初の取材はイレブンの空港到着。スポーツ紙の難しいところは、「到着しました」という現象だけで紙面を作ることができないことだ。ところがこの日の取材といえば、到着したときに1分間ほど監督にぶら下がって話を聞いた程度。選手の取材は一切なし。とはいえ日本では大注目のなでしこジャパンだ。「何もありませんでした」では記者失格、話にならない。何とか知恵を絞って、現地の関連取材をして記事を書いた。
地元中国に焦点をあてた。到着の空港では一般人や地元報道陣が集まり、物見遊山にじろじろとなでしこイレブンに興味津々。そんな不思議な空間を紙面で報じた。その翌日には現地紙が、世界一となったなでしこジャパンの中国到着をどう報じているかというところに注目。すると取材規制に憤りを感じた地元紙は「世界一になったなでしこは傲慢だ」と報じた。これに注目し、記事を作成。選手の取材だけで紙面をつくるのではなく、様々なところから情報を集め、いろんな角度から紙面作りを考えなければならない。

タイ戦を控え、公式練習で最終調整をするなでしこジャパンのメンバー
息つく間もなくその後は連日の練習取材。それまで取材で積み重ねたものが全くなかった分、その日その日で紙面を作らなければならない。練習中はもちろん、一日中、気を張り巡らせていた。だが、試合翌日には主力選手が練習場に現れず宿舎で調整して、取材対応さえないなど、一筋縄ではいかないことばかりが続く。試合の日は当然のように1面から3面までの大展開。15日間はあっという間に過ぎていった。

北朝鮮戦で、永里優季選手のシュートがオウンゴールにつながり、日本が先制した
不安ばかりを抱えて乗り込んでいった中国だったが、終わった後には充実感もあった。これだけの国民的な注目を集めた現場に立つことができたというのは、それだけでも人生の大きな経験になったと思う。思えば、サッカー担当でもない若造の自分にこのような大きな仕事が回ってきたのは、固定観念を持たずに人を活用する産経ならではのことだ。現地で取材に当たった他社の記者はほとんどがサッカー担当で、記者歴10年以上の強者ばかり。24歳という若さでこれだけの仕事を経験できたことは、大きな財産になった。
このときのなでしこといえば誰もが注目している存在。他の競技の選手たちもそうだ。自分の担当分野でもある相撲に戻り、力士になでしこの話しをすると「そうなんだ。○○と話したの?」という話題にもなる。スポーツ紙の場合はそういったところからネタになることも少なくはない。他の多くのスポーツ紙ではほとんどの場合、それぞれの競技に担当記者が配置される。相撲記者がなでしこの取材なんてあり得ないことだ。記者として海外出張という経験だけでなく、競技の垣根を越えた取材が出来ることは、産経でしか経験できないことだ。

オーストラリア戦で、勝利に沸くサポーター(写真上)と声援に応える選手ら(写真下)



















