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英国FPA「年間報道大賞」
受賞インタビュー

YASUO NAITOU
内藤 泰朗
平成元年入社。
東京編集局仙台総局を振り出しに、社会部を経て4年、外信部に配属される。モスクワ支局長、ロンドン支局長などを歴任し、現在は対外情報発信準備室の室次長と編集局副編集長を兼任している。

戦後70年にあたる2015年、産経新聞とFNN(フジニュースネットワーク)の企画報道が、世界の優れたジャーナリズムに贈られる英国のFPA「年間報道大賞」に輝きました。その立役者は内藤泰朗・前ロンドン特派員。国際報道に強い産経を改めて印象付けた快挙は、どのようにして達成されたのか、内定者が内藤記者を取材しました。

入社後、半分は海外駐在

一番最近では、2015年の12月までロンドン支局の特派員(支局長)をしていました。その前は、2004年から2009年までロシア、その前は留学でワシントンに約一年間、行っていました。その前の1994年から1999年に最初のロシア。さらにその前がカンボジア。入社して28年ですけど、約半分は実は外国だったんですね。

世界を見たい、と思った学生時代

特派員になったのは、学生時代から海外に興味があって、外国を見てみたいというか、世界を自分の目で見て記事を書きたいというのが一番大きいかな。ロシアが専門なんですけど、実は子供のころに父親の仕事の都合で、当時のソビエト連邦に3年間くらい、1977年から1980年まで住んで、東西冷戦がとても激しい時代でしたが、ソ連の学校に通っていました。日本はとてもいい国だけど、日本の外側にはまだ見たこともないような場所があるっていうのを、その時に感じて、仕事するんだったら外国を見てみたいと思うようになりました。

「戦後70年」を
契機に生まれたルポ

ロンドンにいたときに、英国のFPA(外国プレス協会)が主催する「今年のニュース賞」といった感じのイベントがあって、戦後70年ということで取材・報道した、あるルポを申請しました。
かつて自分のお父さんを「神風特攻隊に殺害された」というデービッドさんというイギリス人の退役軍人がいて、その方が「特攻機のパイロットにも家族がいたんじゃないか」と思い、70年を契機に、その家族を探し始めました。話を聞いて、デービッドさんの思いを記事にしたり、フジテレビと共同で番組にもしたりして、私たちも協力したところ、日本の遺族が見つかったんです。そして、デービッドさんが来日されて「お互いに和解を進めていきましょう」と、遺族の方と会うところまでいきました。
70年後の奇跡じゃないけど、その和解のストーリーを何回かに分けて産経新聞とフジテレビで報道したのをまとめて、FPAに申請したわけです。それが2015年の「ストーリーオブザイヤー」(年間報道大賞)に選ばれて、トロフィーをいただきました。
難民の問題や、シリアの内戦に絡んでヨーロッパが大変な状態になっている、といった悲劇的なストーリーが多い中で、私たちのストーリーが唯一、ポジティブな話だったこともあり、審査員の人たちも、いいなと思ったんじゃないかなと思います。

大切な「新しい発見」と
「一歩先を読む」こと

このストーリーは小さな出来事に過ぎませんが、デービッドさんがこういったことをやろうとする意思がなかったら、生まれてはいませんでした。すべては、デービッドさんがいろいろなことを考えて、「家族の人たちはどういう思いなんだろう。日本人と和解したい」と、彼自分がファーストステップを踏みだしたことから始まりました。決して我々が始めたわけではなく、まさしくデービッドさんの第一歩がきっかけです。取材に至るまでも、偶然や小さな運みたいなものもありましたが、やはり人の意思というのは結構、重要かなと思います。そのおかげで賞をいただけたと。私だけじゃなくて、みなさんの力でいただいたものです。
色々な人がいて、色々な考え方があって100人いたら100の体験がありますが、100人の体験全部を書くわけにはいかない。けれど、記者として「これは書かなきゃ」ということがあるんですよね。その中で、人間の力ってすごいと思います。とくに意思がある人の力です。今、世界中では、様々な問題が起きていますが、我々の仕事は、そうしたネガティブなものにやっぱりフォーカスせざるを得ないし、それを世界に伝えて、どうなって、どうなっていくんだろうっていうのが、一義的には私たちの仕事です。一方で、ポジティブなものもあって、それも忘れずに私たちは伝えていく。さらに、そういったことをワールドワイドに、できるだけ日本との関わり合いの中で読んでもらうことができたら素晴らしいなっていうのが、私たち外信部の記者の思いかな。少なくとも、私はそう思っています。
やっぱり「新しい発見」が重要だと思います。外信部の記者を目指す人は、必ずしも駐在する国のニュースだけにこだわらず、それをこえて、日本とどんなインタラクションがあるのか、もう一歩先を読んでいくようなニュースを求められているし、そこが一番重要だと感じています。

偏りのない日本報道へサイト立ち上げ

これはワシントンに行った当時からですが、日本のことがうまく伝わってない感じがしました。日本から発信される英語による情報、少なくとも英語で発信されている情報は、私たち日本人が聞くと「えっ?」と思うような、ちょっとバイアスがかかった情報が結構伝わっています。平気で、偏った日本を全体像みたいに感じる伝え方をしている人たちがいるわけです。それに対してあまり反論されていなくて「これはおかしいよね」「反論していく必要性がある」と、ずっと思っていました。
バイアスのかかった情報に対して、日本で今起きている問題を含めて、いろいろなものを発信していかなきゃいけない、わかってもらわなきゃいけない。そのために今、私たちがやってるのは「JAPAN Forward(ジャパンフォワード)」という新しい英文サイトです。つい先日(2016年12月)に立ち上げました。ここで一生懸命、発信していって「日本のニュースだったらここに行け」みたいなサイトにできたらいいなと思っています。それを通じて日本に対する理解をもっと深めてもらいたい。
サイトを運営していくうえで、これからたぶんいろんな問題に直面すると思う。だけど、そういうことを、さっき話したデービッドさんのように「重要なことだ」という意思を持って推し進めていく人たちが集まれば、乗り越えていける。そういったことが、今の私のテーマですし、それはきっと産経新聞で働いている多くの人も、同じように思っているでしょう。

苦しさがあってこその「喜び」

海外で人種の問題とかは、あんまり感じなかった。皆多かれ少なかれ違いはある。違うものは違うと言っていいし、そこで嫌な思いというのはあまりしたことはない。反対に、違うってことはいいことなんじゃないかって思う。違う自分がいるから、多様性が生まれ、私もその多様な社会を構成している一員なんだと、そういう風に思えば嫌なことがあっても関係ないでしょう。それよりも、もっといいことを言ってくれる人もいるし、決してひとつじゃないというか、世の中ってうまくバランスが保たれているなと思います。
そう考えれば、苦しいことも楽しさのうち。たぶん苦しいのは、自分のやりたいことが見つからない時で、自分も、やりたいことって何だろうって悶々としている時期があって、その時が苦しかったかもしれない。「なんでこんなことをやっているんだろう」と思い始めたら、やっぱりね…。一方で、自分にぴったり合ったことが見つかった時、それに進んでいる時は、どんなに苦しくても結構がんばれる。苦しみがなかったら喜びも薄くなってしまう。苦しい状態でブレイクスルーがあったら、すごくうれしくなる。これは他人にはわからないと思います。だから、苦しければ苦しいほうがいいんじゃないかな。いつか来る喜びのために耐えていると、小さな喜びでもでハッピーになれる。苦しみも喜びのためにと思えば、我慢できる。少し頑張ってみるかなって。自分が切れてしまったら元も子もないけど、もうちょっと頑張ってみて、今の苦しさは絶対に終わる、と思えばいいんじゃないかなと思います。

就活生に伝えたいこと

今言ったように、楽しんで仕事をしたほうがいいですね。苦しみながらも楽しんで。苦しんでやると楽しみも大きくなる。自分が楽しかったり苦しかったりするのは記事を通じて全部、読者にわかるから、それは必要なこと。何を伝えたいのかを頭において、デービッドさんみたいな人のことを伝えたいと思ったら、一生懸命、伝えることが大事。自分だけじゃなくて、多分みんなも喜んでくれると思う。一生懸命に考えて苦しんだ分だけ、それは大きな宝物になると思います。