[産經新聞フロントページ | 産經新聞インデックス]

s



批評スクランブル

喜多村知の多彩な線と色彩、洋画の美
文芸評論家 福田和也


 喜多村知の遺作展がソフォルム画廊で開かれていた(三月五日〜二十日)。同画廊で、喜多村氏を追悼する展覧会が開かれるのは、いかにもふさわしい事のように思われ、というのも洲之内徹なき後、東京では一貫してフォルム画廊が喜多村氏の作品発表の舞台となってきたからで、私が喜多村氏の作品と最初に出会い、また本人とお目にかかったのも、フォルム画廊であった。作品を頒けるのであれば尚更だ。こぢんまりとした場所で、喜多村の作品をじっくりと見て、そして購入することさえ可能であるのは、幸福であるとさえ云えるかもしれない。

 しかしながら、またこの幸運が不本意に思われるのは、喜多村氏の遺作展が、市井の小画廊(もちろん福島繁太郎以来の輝かしい伝統があるにしろ)で開かれる事は、やはり、どうしたって不当だという意識を持たざるをえないからだ。

 それは喜多村が、洲之内徹といった一部の目利き、あるいは佐藤哲三、松田正平、香月泰男といった画家仲間の評価をのぞけば、不当に低く評価されてきた、あるいは評価されてこなかったことと深く係わっている。作品の価格は、きわめて安いものでしかない(私のようなものには、有り難いことだが)。

 しかし、それ以上に、その低さは日本の洋画にたいする、世間の無理解、評価の低さが、このようなあり様につながっているように思われてならない。

 喜多村は、近代日本がもった偉大な芸術家のなかでも、間違いなく指折りの存在である。その喜多村を回想するのに、権威がありがたいわけではないにしても、公共の、あるいは国家運営の美術館が動き、あるいはジャーナリズムが関心を喚起するといったことをしないのは、おかしいのではないのか。それは、喜多村にとって不幸というよりも、日本人、日本の文化、そして、その精神にとって不幸な事だ。

 先立って東京現代美術館で、河原温の大規模な回顧展が行われた。その事に別に異論があるわけではない。河原は興味深い作家である事に間違いはない。

 また、市井では、イラストレーションじみた、美人だのシルクロードだの花鳥などの通俗的な絵柄の日本画が、高価で取引きされて、愛好者も多い。こういうものを(それがいかに華岳、御舟の時代から後退したものであろうと)好む人たちがいるという事も、理解しないではない。

 だが、現代美術と日本画だけでは足りないものがあるのだ。つまり、そこには美がまったく欠けている。片鱗もない。現代美術は観念と物との相克を追い、日本画は雰囲気と意匠を展開して見せる。それはそれでよい。しかし、それだけでは足りないのだ。美がまったくないではないか。現象、現実、物の内奥からはじけ出る真実としての美が。

 私は繰り返し、日本人の近代における表現行為の中で、如何に洋画が重要であるか、という事を述べ、書いてきた。近代西洋との出会いとともに、当初軍事や建築に必須の技術として受容された西洋絵画の技法は、日本人が現実をいかに把えるか、という問いにたいして、思想や文学とともに重要な役割を果たしてきた。日本画が、現実を意匠化するのと、逆の道を洋画の先覚者たちは進み、現実と現実の奥底にある神秘を、抉り出し、定着させた。その「写生」の射程において、高橋常一や岸田劉生の名前は、正岡子規、志賀直哉、そして西田幾多郎や九鬼周造などと並べられるものであり、そして今日、松田正平や喜多村知は、その系譜に連なっている。

 展覧会のカタログに転載されたインタビューで、喜多村はこのように語っている。

「物そっくりに描きたいとは思わない。写生は何のためか。それは借り物だ。それを借りて自分自身を表現する。(中略)松本俊介は花を描かなかったという。はじめから美しいものは描く必要がない。それが彼の論という。しかし、夕焼けの美しさ、あれは何だろう。花の美しさも描きたい。描いた夕焼け空や花は仮の姿で、その奥にある真実だけが人を感動させる」

 州之内徹が、「喜多村の絵にはサービス精神がない」と云ったと伝えられているように、喜多村の絵はけして分かり易くはない。一見すると、アンフォルメルかと誤認するほど、多様な線と色彩が、正面に乱舞している。しかし、ゆっくりと画面の前に佇み、眼と頭を運動させていると、それしかありえないほど確固として形があらわれ、形は空気を含み、匂いだし、風景が現れる。

 個展の会場で、喜多村の作品を海外にもっていくべきだ、という声を聞いた。私も同感だ。日本人による、もっとも独創的な表現が、間違いなくそこにはあるのだから。セザンヌを生み、ピカソを評価した人々は、絶対にしっかり反応するだろう。




正論フロント目次論文募集購読申し込み


THE SEIRON / seiron@sankei.co.jp