
▲映画俳優としての東映ニューフェイス時代。台詞をもらい、役がついたのは俳優になってから5年後だった。頭にアンテナを立てた宇宙ギャングの役で、雲の上から突き落とされて、「今にみていろ」。これが初めてもらった台詞だった |
プロ野球選手から俳優へ
殴られ、斬られ、撃たれて殺される悪役稼業もいったい何年になるだろう。酒場などで本物に挨拶されることも珍しくないが、俺は、とことんそれらしく演じているだけだ。プロ野球から俳優に転じて四十一年、長い下積み生活が今の俺をつくった。年を取ったせいなのか、人間にとって、いや日本人にとって決して失ってはならないものは何か……、この頃そんなことをよく考える。
昭和十年、俺は岡山市に生まれた。兄と姉一人ずつの末っ子。終戦直後の十歳のとき、野球に出会った。DDTをかけに来た米兵がキャッチボールをしていた。俺はたちまち魅せられた。軍手を丸めてボールにし、厚い布に綿を詰めてグローブにした。金も、物も、食う物もなく、みんな腹を空かせていたが、夢中になって野球をやった。
父の亀(ひさ)億(お)は俺の通っていた桑田中学にバックネットを寄付してくれた。戦後の荒廃した岡山の街の人たちに何か楽しいことを、と父は国鉄の助役を辞めて、日米野球の試合を呼んだり、千歳座という劇場を買って洋画の名画と芝居をかけた。俺は、ジャック・パランス、リチャード・ウィドマークといった悪役俳優が好きで、劇場の手伝いをしながら何遍も見た。父はよく楽屋に食べ物を差し入れていたが、ヒロポン中毒の惨状を目の当たりにしながら、「間違っても役者になんかなるんじゃないぞ」と俺に言い聞かせていた。
野球のとりこになっていた俺は中学でも続け、その後岡山東高校から明治大学に進み、三年のときに中退して東映フライヤーズ(現日本ハムファイターズ)に投手として入団した。晴れてプロ野球選手になったものの、当時の俺は、何事につけ筋を通そうとする生意気さだけが取り柄で、それ以外に人様に誇れるようなものは何もなかったように思う。だいたい色街から契約の席に直行した選手は、俺ぐらいだろう(談)。
悪役には「悪役の華」がある

▲悪役商会の俳優たちはみんな俺の息子のようなものだ。役者稼業もそうだが、日本人と生まれたからには日本人として輝いてほしいと思っている。義理人情を忘れるな! 筋を通せ! それがなくなったら日本人じゃない。俺は古いと言われようが何と言われようが、「修身」復活を訴えたい。人の道を教えるのに何の遠慮がいるものか。ムチャクチャに生きてきた俺だからこそ、そう思うのだ |
試合ではリリーフ専門。とにかくよく飲み、よく遊んだ。結果として(?)、よく打たれた。「どうせ打たれるなら、高倉健に撃たれろ」という大川博東映社長の鶴の一声で俳優として契約。退団、と言えば聞こえはいいが、要はクビだ。
明治大学の先輩、高倉健さんに、「俺でも稼げますか?」と聞くと、「お前でも大丈夫だろう」と言われ、その気になった。だが、最初は一本二千五百円の出演料で、これでは食っていけなかった。そんなとき俺を救ってくれたのが野球だ。映画人野球大会で力投、優勝すると、大川社長が褒美に『紅孔雀』の主役をくれた。その撮影現場に当時の東映の豪快な悪役俳優たちが陸続とやってきて、実に男っぽく、格好よく演じて帰っていった。それに接しながら、俺は悪役のほうが向いている、と決断した。
悪役には悪役の華がある。それは決して暗い華じゃない。映画でも、人生でも、大切なのは縁の下の力持ちだ。悪役は陰で物語を支える存在なのである。
ただ、悪役をやりながら、ときどき親父を「悪人」として責めた記憶がよみがえる。戦後間もなくだが、親父はヤミで捕まった。学校でヤミ師の伜といじめられ、すいぶんと親父を憎んだ。五、六年たって何かの拍子に、「あのときは、どうやってもおまえたちに白い米の飯を食べさせたかったんだ」と親父がつぶやいたのを聞いて、胸がつまった。男親の辛さ、哀しさ、覚悟というようなものが伝わってきた。
俺が悪役を演じる姿を親父は知らない。生きていれば、「ばかものが!もっと善人の役をやれ」と言うかもしれない。だが、コツコツ努力する裏方の美学、慎ましく自らを律するのが悪役なのだ。陰でもいいじゃないか。俺はそれに誇りを持っている。だからこそ陽気にやれる。今なら、親父もきっと分かってくれる。俺は、そう思っている(談)。
(撮影・内藤博)
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やな・のぶお=昭和十年(一九三五年)岡山市生まれ。岡山東高校、明治大学を経て昭和三十一年プロ野球東映フライヤーズ入団。投手をつとめた後、俳優に転向。昭和三十四年東映ニューフェイスとなり、三十六年テレビ映画「紅孔雀」で主役に抜擢。その後は悪役一筋。五十八年「悪役商会」結成。映画生誕百年日本映画批評家協会賞受賞。以後、バラエティー、コメディー、ミュージカル、CMなどに大活躍。CMでは、「サロンシップ」(米クリオ賞受賞)、「寅壱」(ACC賞)のほか、“まずい、もう一杯”の「キューサイ青汁」が大きな反響を呼んだ。 |
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