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 <知を楽しむ人のためのオピニオン誌・「正論」>


 読者の指定席(1) 5月号

子はかく豹変する

元会社員・松下日出男(町田市・70歳)

 君子が豹変するのを二度見た。一回目は学園紛争たけなわの昭和四十四年一月、東大安田講堂の屋上である。当時、東大キャンパスはヘルメットと手拭いで顔を隠した学生たちの大集団に蹂躙され、そのジグザグデモで毎日、騒然としていた。そんな彼等に彼等の母親らしき年配の女性たちが「気をつけてね」などと声をかけてはキャラメルを配っているのを見た。「ハテ、面妖な」と首を傾げたが、その後、安田講堂が機動隊員によって制圧された時、納得した。

 屋上で時に手を振り、時にニヤつきながら火焔ビンやら人頭大の石やらを地上の機動隊員目がけて投げつける学生に昔の武将のおもかげを見た。落城に際して切腹し、己のはらわたを群がる敵に投げつけたという男である。「屋上の彼も最後には飛びおりて自害するだろう。それも、これだけのことをやっているのだから一人や二人では済むまい。そうなったら彼等の言うことにも耳を傾けてみよう」。そう思いながら見ていた。

 ところが、ここで彼等は君子に豹変した。機動隊の先頭の一人が小さな穴から彼等の本丸に躍り込んだ瞬間、彼等は一斉に手を上げ「乱暴するな」、「暴力反対」と喚いたという。彼等はおどろおどろしい風体をしたただのキャラメル坊やだったのである。

 あれからざっと三十五年。二回目の君子の豹変を今、見ている。「戦争反対」という誰にもケチをつけられない安全パイを合言葉に「人間の盾」としてイラクへ乗り込んだ市民活動家たちがいざ軍事関連施設などへ張りつけられるとなったら突如、君子豹変した。

「人間の盾」という物凄い言葉にてっきり己の命をかけてのことだろうと思っていたが、どうも違うらしい。宿泊や食事はそっくりイラク持ちということだからこれは体のいい無銭観光旅行ではないか。イラクもイラクで盾に勝手に手足が生えて逃げ出されてしまったら元も子もないだろうにと思ったが、宣伝には使えただろうからいずれの当事者にも損はないかと今回も納得しつつある。

霞が関職員の「人権研修」

公務員・村上俊夫(東京都江東区・28歳)

 私が勤めている霞が関の某省で、先日職員を対象とした「人権問題研修会」が開かれた。この手のイベントは大抵みんな行きたがらないので、各課に人数を割り当てて動員がかけられる。私も参加することになったのだが、せっかくの機会なので、霞が関でこんなことをやっているということをご紹介したい。

 会場となる講堂に集まったのは、おそらく二百人くらいだろう。もちろん勤務時間中である。第一部が大新聞の常任顧問を務めている方の講演で約九十分、第二部が和歌山県同和委員会の企画した映画で約三十分という構成であった。

 内容は、講演も映画も概ね共通していた。その趣旨を要約すれば、古い迷信や偏見を排除すべきだ、ということである。大安・仏滅などの六曜や、葬儀の後の清めの塩、土俵の女人禁制といった私達の仕来りは、根拠に乏しく無意味だと言うのである。

 だが、バークの「偏見の擁護」を引くまでもなく、私たちの日々の営みは、目に見えないほど私たちの内に深く受容された古臭い感覚に負っている。それをいちいち暴いて面白がるのは、全く子供じみた振る舞いだと言わざるを得ない。基本的には、迷信も偏見も社会にとって不可欠な潤滑油であり、その出発点を取り違えたレトリックは、どんな事態も良い方向に向かわせないであろう。

 講演者は一方で、現代は経済偏重であるから政治や文化の復権が必要だと述べ、また家族や地域社会の重要性も説いていた。だが、迷信を含まない文化、偏見を孕まない家族とは、果たしてどのようなものだろう。殺伐として、無表情で、あってもなくても構わないような文化や家族しか、私には想像がつかない。

 講演者は途中、「私の言うことを信じてください。別に新興宗教の勧誘じゃないですけどね」というようなことを言っていた。話が新興宗教的であることを自覚していると吐露したように思えて、妙に印象的だった。

生きていることを決して無駄にはしない

会社員・上田真弓(市川市・43歳)

 人生には、何度か自らが決断して、これから進むべき道を決めなければならない時があるが、私も今その決断の時である。

 四年前に血液の癌である悪性リンパ腫のために倒れ、一年近い入院生活を送った後に一命を取り留めたが、その後会社の仕事に復帰して、毎月検査を受けながら、ここまでなんとかやってきた。

 免疫力の低下のために、その後も帯状疱疹で入院、肺炎で入院と、決して体調万全とは言えない状態が続きながらも、今生きていることのありがたさ、社会復帰できた喜びを実感しながら、会社の仕事を続けてきた。悪性リンパ腫が再発したら、今度こそ危ないのは十分理解しているので、どうか再発しないようにと祈る毎日を送ってきた。

 ところが、先日受けた人間ドックで、今度は腎臓に癌が見つかり、この二月に入院手術して切除した。幸い手術はうまくいき、二週間程度の入院で退院でき、今は順調に回復している。悪性リンパ腫は再発していないので、最悪の事態は免れたが、まさか別の癌になるとは全く考えていなかった。

 私は病気のことは悩んでもしょうがないと思っているのであるが、今回の腎臓の癌を機に、自分の人生をどうするか決断すべき時だと判断した。つまり、

(1)四十三歳という年でふたつもの癌を患った私のからだは、この先同じようなことが起こる可能性が十分にあり得る。

(2)今後はこれまで以上に検査が多くなり、会社を休む回数が多くなる。体調が悪くて休むことも多くなる。同じ部署の人たちに迷惑をかけるばかりでなく、有給休暇がそれらでなくなってしまうため、自分のやりたいことができなくなる。

(3)今ここで無理して頑張ると、あとで頑張れなくなる。今は健康を最優先して考えるべきである。

 今が決断の時と考え、私は三月末で長年勤めた会社を退社することにした。上司は「会社に迷惑をかけるから、などということは考えなくていい。自分にとって何が一番いいかだけを考えて決めてくれ」と、とてもありがたいことを言ってくれたのだが、私は「この先健康状態がどうなるか分からないので、無理をせずに、自分のやりたいことに集中したい」という気持ちを伝え、退職を了解して頂いた。

 私にとっては、自分のやりたいこともできずに会社の仕事を続けて、病気になって死んでしまった、という人生が最悪なのである。どうせ死ぬなら、やりたいことを為し遂げてから死にたいのだ。

 働きたくてもリストラされて職を失う人が多い今の世の中で、自らの意思で会社を辞めるというのは贅沢なことかもしれないが、私は決断した。独身で気楽なところもあるが、現在の貯金と退職金でどのくらい生活していけるかなどを考え、とにかく健康でありさえすればどうにかなる、どうにかする、という強い意思で前向きに退職する。決して甘い考えで会社を辞めるわけではない。自分の健康にとって、人生にとって、それがいいと決断したのだ。

 現在の私の肩書は「会社員」だが、四月からは「元会社員」になる。数年後の私の肩書がどうなっているか、楽しみである。元気でいさえすれば、きっと私は何かに打ち込んでいるであろう。私は生きていることを決して無駄にはしない。

体が震えた台湾を去る日

元会社員・坂井健二(武雄市・81歳)

「思い出」とは悲しいものである。私には片時も脳裏から離れない痛恨と感動の体験がある。昭和二十一年十二月十日。台湾生まれの私は二十四歳。母国台湾との決別の日であった。最北端の基隆港に引き揚げ船は停泊していた。午前十一時、乗船。八百名の引き揚げ者は全員三三五五デッキに集まった。誰彼となく語り合った。

 敗れた祖国に山河はあるのか。我々は人生の仕切り直しが出来るのか。不安、焦燥に肩を落としていた。それでも、なにはともあれ四日後には祖国の土を踏めるのだ。一縷の安堵感に微笑みを浮かべる者が多かった。

 その時である。眼下の十八号岸壁をいつの間にか真っ黒に埋めた台湾の皆さんが一斉にハンカチを振って、「さようなら。また来て下さいね」。悲鳴にも似た絶叫である。半世紀の間、統治者として振る舞った我々に対する被治者からの送別の言葉であった。

 魂にこびりついた敗戦国民の挫折と絶望は一気に吹き飛んだ。デッキの我々全員は、「ありがとう。さようなら」。本当に嬉しかった。体が震えた。この両者の号泣、慟哭の大合唱が基隆港に渦巻いた。そこには民族間の相克など微塵も無い。不離一体の同胞意識だけが存在した。

 帰国後、満州、朝鮮、ソ連から血を吐く思いの引き揚げ体験を耳にした。戦後、台湾で危害を受けた日本人は皆無である。刀折れ矢尽きた我々を温かく祖国に送り届けて頂いた台湾の皆様の至誠一筋の情愛を、私は後世に書き残したい。



 「正論」平成15年5月号   読者の指定席





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