本誌の編集部に異動してから丸一年が過ぎた。
入社以来十数年間、新聞の取材記者の仕事しか経験がなく、雑誌の編集者になると内示を受けたときは戸惑ったが、「記者も編集者も似たようなものだろう」と漠然と考えて新しい職場に来た。それからまがりなりにも一年間編集者として仕事をしての感想は、二つの仕事は「似て非なるもの」だった。確かに似てはいるがまったく別の能力を要求される場面のほうが多い。
原稿を筆者に発注して、原稿を受け取り、筆者と話し合いながら完成させる。タイトル欄や写真、グラフなどを組み合わせてレイアウトを考え、印刷会社に入稿して、ゲラを筆者とともに確認する。編集作業の大まかな流れは、こんなところだ。時には自分で取材して筆者にデータとして渡したり、原稿を書いたりすることもある。新聞でいえば、取材・記事執筆、デスク、見出し付けや紙面レイアウトを担当する整理、校閲までを全てあわせたような仕事である。
これらは編集者の仕事の一部であり、どのような原稿を頼むかを考え、日ごろから筆者との関係を作っておくことも大切な仕事である。新聞で取材や記事執筆の切り口を考えること、取材対象と人間関係を作っておくことと似ているかもしれない。
ただこれまでに感じた範囲では、仕事で関わる人たちとの関係は大きく違う。取材記者は基本的に記事のネタとなる情報を聞かせてもらう立場である。そこでは、相手方の感情や思惑が仕事の成果にも大きく左右する。
これに対して編集者は原稿の扱いを最終的に判断する立場にあるため、筆者ともそこまで一方的な関係でないことが多い。出来が芳しくない原稿は思いきってボツにしないと雑誌の質は維持できないし、持ち込まれてくる原稿もすべて掲載できるわけではない。極端な話、どれだけ著名な筆者でも原稿の出来が悪ければボツにすることもあり得るのである。
編集部に来た当初は、その辺りの呼吸が掴めず、取材記者と同じ様な感覚で筆者と接していた。持ちこまれた原稿もできるだけ活かしたいと考え、書き直してもらったり、時には自分で書き直したりもした。しかしそれで仕事を抱え込み過ぎて収集がつかなくなり、結果的に掲載できずにかえって筆者に迷惑をかけてしまうことも多々あった。時には非情になることも必要だし、原稿の最終的な可否を早く見極めることも編集者の大切な能力の一つであると学んだ気がする。
といっても、原稿の掲載を断る気まずさにはなかなか慣れることができない。見ず知らずの筆者ならともかく、ある程度関係ができた筆者なら尚更である。
先日、ある筆者から原稿に関する裏話を聞かされた。物書きとして実績も十分ある人物だったが、雑誌で原稿が掲載されるのは久しぶりで、その掲載は、彼にとっては人生のターニングポイントといってもいいほどの意味があることだったようだ。いろいろな事情で何カ月も掲載できずにいた原稿だったが、「もしお蔵入りになっていたら…」と背筋に冷たいものも走った。
原稿一本に筆者の人生まで関わってくることはまれだろうし、もし関わってくるとしても掲載を判断するにあたって考慮するべきなのかは分からない。ただ編集者として謙虚さを失ってはいけないという重い戒めにはなった。
今後も原稿を断る気まずさと胸の痛みだけは忘れずに仕事をしていきたいと思う。
「正論」編集部 小島新一
| 平成15年5月8日 |
Web版「正論」コラム
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