お元気ですか。
いま書店に並ぶ雑誌「正論」七月号の表紙は秋山庄太郎さん撮影の鰐淵晴子です。本当は全身を撮った写真ですが、表紙では顔だけになってしまいました。残念ですね。でも、こればっかりは表紙デザイナーの意向に従うしかありません。それでも、「あ、これは鰐淵晴子だ」と、足を止めてくれる男性が必ずいるはずです。
ある年代の男性陣にとって鰐淵晴子は天使のような存在でした。私もその一人でしたが、振り返ってみますと、当時の彼女はいまとちがって文字通りの清純スターだったような気がします。もっとも、現在の現象はとかく気に入らず、過去がやたらに輝いて見えてくるという年配者特有の偏見もあるでしょうが。
「えっ、鰐淵晴子って、だれ?」
そう思った人もいるでしょう。オールドファンにはそのこと自体がしゃくにさわるけれど、これも時世というもの。かんたんにご紹介します。
昭和二十年(一九四五年)、鰐淵晴子は日本人ヴァイオリニスト、鰐淵賢舟氏とドイツ人の母親の長女として生まれました。そして賢舟氏の英才教育をうけて六歳で音楽界にデビューしました。天才ヴァイオリニストと騒がれたものでした。
昭和三十年(一九五五年)、鰐淵晴子は新東宝映画『ノンちゃん雲に乗る』の主役に抜擢されました。役は夢多き小学二年生。この映画、ずいぶん昔に見たのですが、いまもかすかに覚えています。可愛いノンちゃんでした。この映画には原節子も出演しているのですが、原節子の記憶は全然ございません。
人気沸騰のノンちゃんを映画各社が放っておくはずがありません。松竹が金の卵を手にしましたが、父親の賢舟氏は愛する娘の銀幕入りに反対だったとか。父親はヴァイオリニストとして大成させたかったのでしょう。ただ、本人も母親も初めから映画界には関心があったようです。芸能記者によりますと、母親はいまでいうステージママだったそうです。 鰐淵晴子は『母子鶴』とか『乙女の祈り』『銀嶺の王者』『らしゃめん』といった映画に出演していますが、スクリーンもさることながら雑誌のグラビアに登場した彼女に心をときめかせていたものです。天使のような女性でした、ハイ。
天使様は二十三歳で銀座服部時計店の御曹司と結婚し、銀幕から姿を消しました。雑誌のグラビアからも去っていきました。翌年、離婚。アメリカに渡りました。すでに新聞社に入っていた私は天使様のことなどすっかり忘れていました。
訂正。「すっかり忘れていました」はまちがいでした。心をときめかせていた女性をやすやすと忘れるはずがないですよね。
それから幾とせ。あれはいつだったか。東急百貨店日本橋店で鰐淵晴子を初めて目撃したのです。写真家タッド若松氏の写真展の会場でした。タッド若松氏に寄り添う彼女は変貌していました。濃いアイシャドーの彼女は天使を卒業して妖艶な魔女なっていたのです(もちろん、容貌だけでしょうが)。チェーホフは、男が替わるたびに変身していく女の姿を小説で描いています。鰐淵晴子の変わりようもタッド若松氏によるところが大きいのでしょう。
また、それから幾とせ。鰐淵晴子の魔女性はどんどん薄れていき、いまはすっかり母親の顔になっているのはご存じのとおりです。秋山庄太郎さん撮影の鰐淵晴子は変身する前の写真です。書店でぜひご覧下さい。
「正論」編集長 大島信三
| 「正論」平成15年7月号 |
編集長メッセージ
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