読者の指定席(1) 10月号
「普通の国」になるためには
牛乳販売店手伝い・松岡沢奈(八代市・36歳)
湾岸危機によって我が国は、国際社会から「普通の国」であることを求められるようになった。即ち、これは海外派兵を求められることと同様である。振り返ってみて、また今日までそのことに対して国民がその対応に十分心構えを持っていたとはいえない。先の大戦の敗戦後、日本人は普通の国としての大事なものを忘れてしまっていたのである。
現行憲法の「軍」否定は、日本が「普通の国」になるには障害である。この二つの間には、大きな溝がある。政府与党が、憲法改正を行わないまま自衛隊を海外へ派兵する。その説明を聴いていると、胡麻化しと詭弁を弄しているとしかいいようがない。
おそらく、血が流れるであろうと思うが、血を流してでも行うべき派兵に対してその覚悟が出来ているのかと疑いの念を抱かざるを得ない。
やり方が姑息なのである。「始めに自衛隊派兵ありき」が政府与党のやり方のように感じられてならない。法の手続きに問題はないのか。「海外派兵」に対して小泉首相は対米協力・国際社会の要請というものをその理由に掲げるが国際社会も一致していない。対米協力も安易な理論で与党・政府の中にその哲学が組み立てられているとは言い難い。
我が国は、米国の属国ではないのである。「対米協力」の名の下に自国の国家理性を喪失してしまいそうな外交政治では、日本は滅びてしまうような気がしてならない。「いつかきた道を繰り返している」という主張をする人々も数多く存在するのである。
政府与党は、国民に「日本を普通の国にします。その努力をします。憲法を改正致します」と明言する義務と責任がある。
目を覚ませ反日マスコミ
団体職員・松本良夫(山形市・55歳)
中国の胡錦涛新指導部が対日関係の改善に向けて動き出したという。やっぱりと思った。どこの国でも、ときの指導者は、自分の政権の維持・安定と自国の利益を重視して動いているのだ。反戦平和という高邁な理想だけで世界は動いていないことを如実に示している。
新しい歴史教科書の発行、小泉首相の靖国参拝が、日本の軍国主義復活につながると執拗に反対キャンペーンを張った一部マスコミは、結局、江沢民前政権の安定、求心力の維持のための反日宣伝に体よく利用され、踊らされていただけではないのか。
中国の変化の背景には、経済建設を進めるためには日本の協力が不可欠であり、かつ強大になりすぎた米国を牽制し、関係を維持するためにも、日中関係の強化が必要との現実的な計算があるという。歴史認識は変えず靖国参拝には反対しているが、このような考えは、中国で昨年末から、戦略的な発想、新思考の対日外交ということで学者が提唱し、議論が続いていた。
反日マスコミは、今度は胡新政権の対日関係修復のお先棒を担いで「日本の軍国主義は復活しない」「日本の対中謝罪は解決済みだ」との彼らの主張を取り入れるのか。自国の歴史を過剰なまでに悪く考え、一方的な贖罪意識から抜け出せない一部マスコミは、目を覚ますべきだ。それこそ新思考で日本の国益とは何かを主張してもらいたいと思う。
薬の自由化について一言
医師・加納 学(福山市・80歳)
規制改革の一環として、一般小売店での医薬品販売を巡って賛否両論の論議が深まっている。一般消費者側からは、当然賛成の声が高いが、薬剤師、薬局関係者は猛反対している。これに対して、政府は、安全上問題のない医薬品を選定して解禁する方針をうち出しているが、坂口厚労相は反対の立場をとっている。
如何なる薬にも副作用はつきものであり、現に、市販のかぜ薬で重篤な間質性肺炎が起こった例が報告されている。現場の医師は、薬の処方には細心の注意を払っているが、それでも患者のアレルギー体質を見抜くことは困難である。
私の幼児の頃から、富山の行商人が田舎の各戸に家庭常備薬の箱を置いて定期的に交換しており、その都度紙風船などの“お土産”が貰えるのを楽しみにしていた。万金丹、征露丸、膏薬などはその代表的なものであるが、当時無医地区が多かったので重宝がられていた。今でも、過疎地では薬の内容が近代化され、市販に近いものが「置き薬」という形で売買されているが、薬によるトラブルは無いようである。ならば、それらと同等のものを一般小売店で販売するのは差し支えない筈である。厚労省は、訴訟問題に発展することを恐れて慎重な態度をとっている。消費者側も自己責任で選択し、リスクを覚悟しなければなるまい。また、あくまでも応急的措置であり、近医に受診するのが原則である。
父の給料は半分になったけれど
大学生・鶴田真知子(福岡市・20歳)
父の再就職がやっと決まった。二年前に、父がリストラで会社を首になってからの毎日は、一言では説明できないほどいろいろあったが、こうしてみると長かったようで短かった気もする。
テレビドラマでもリストラにまつわる話が大流行だったころだ。ただ、ドラマでは、たった一つの揉めごとをきっかけに家族が危機を乗り越え、そうこうするうちに父親の仕事も決まる、というパターンだった。
しかし現実はそう簡単には行かない。父は昼間は仕事を探しに行き、夜はアルバイトに出た。父の体重は七キロも減ってしまった。母のパートも、父の失業給付が切れるころになって、やっと見つかった。
高校生だった私にもそれなりに苦労はあった。修学旅行も参加辞退した。大学受験だって何校も受けるわけには行かないし、浪人なんてもっての外だったから、一校に絞って猛勉強して、どうにか合格した。信頼して相談した先生から話が広まって、情けない思いをしたこともあった。一度、父についてハローワークに行ってみたこともあるが、求職者で部屋はあふれんばかり。中には私と同じくらいの年の人もいて、こんな中で、若くもない父が仕事を見つけられるのだろうかと暗澹たる気持ちになった。
途中、元プロ野球選手が再就職がうまく行かなくて、飛び降り自殺するという事件もあった。そのときばかりは私も不安で、泣けて仕方がなかった。
今、母は「こうやってまた仕事ができるとわかっていたら、皆で旅行にでも行っておくべきだったわねえ。あんなに長い休暇なんて、もうないのに」と笑っている。父の再就職先は、給料は以前の半分ほど、昇給も賞与もないらしい。そして、家から近いということで自転車通勤を強いられてもいる。
けれど、母にしてみれば、この会社には早出や残業がないところがありがたいそうだ。何よりも、働く場を得て、父は蘇ったように生き生きして見える。そして私自身は、希望が全くないように見える中でも、とにかくなんとか生活していれば、風向きは変わることもある、そんなことを学んだように思う。
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| 「正論」平成15年10月号 |
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