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by STech
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【論文】

李登輝氏へのビザ拒否は外務省による「逆拉致」だ


衆議院議員 中川昭一



 台湾の前総統、李登輝氏が訪日ビザの申請断念に追い込まれた。いまだに残念で、申し訳ないという気持ちでいっぱいである。日本の国のありようという観点からもそうだし、何よりも日本の若者たちのために感動的な講演を用意してくれていた李登輝氏に対して、また、李氏の講演を聞きたいと純粋な気持ちで準備を進めていた慶応大学の学生たちに対してもそうである。

 今回の李登輝氏の訪日問題を、側面から応援した政治家の一人として、二度とこのような愚が繰り返されないよう、私が見聞きした事実を明らかにし、それについてのみなさまのご判定を仰ぎたいと思う。

 私は「北朝鮮に拉致された日本人を早期に救出するために行動する議員連盟」(拉致議連)の会長として、拉致被害者とその家族の支援に努めている、というより被害者や家族の会の方々に人間として日々教えられている者の一人だが、このおぞましい「拉致」という言葉から連想すれば、今回の外務省による李氏に対する事実上のビザ発給拒否は、いわば外務省による李氏の「逆拉致」ではなかったか、と怒りを覚えている。

慶応大学生からの依頼

 私と今回の李氏訪日問題とのかかわりが始まったのは、直接的には九月十日、慶応大の学生サークル「経済新人会」の代表ら二人が私を訪ねてきたときからだった。

「十一月の慶応大の三田祭に李登輝氏を招き、日本精神についての講演をお願いしようと考えている。昨年四月の李氏来日の際の騒動の例もあり、ご協力をお願いしたい」という依頼だった。

 同会はとくに親台湾でも親中国でもない中立的で真面目な学生サークルで、学生たちが私を訪ねたのは、私が台湾問題に関心を持ち、李登輝氏とも親しくさせて頂いていることを聞き及んでのことだったらしい。

 学生たちの熱心な説明を聞くうちに、私としても、この企画をぜひ成功させてやりたいという気持ちになった。純粋に学生の催しなのだから、政治問題化せず静かに準備を進めればよい、と学生たちには伝え、我々政治家は当面、表に出ないようにして、その後の推移を見守ることにした。

 十月二日(水)、産経新聞がこの計画をスクープし、一面で「李登輝氏が訪日意向 慶応大の学園祭で講演へ」と報じた。記事は正確だったが、一瞬「困ったな」と思った。台湾の民主化を進めた李登輝氏の言動を警戒する中国や、国内の中国追随勢力が阻止に動き出すかもしれないと思ったからだ。

 ただ、騒ぎはすぐには表面化しなかった。李氏側も、十月二十五日の米中首脳会談、その後のアジア太平洋経済協力会議(APEC)などをにらんで、米政府や日本政府に迷惑をかけないよう、敏感な政治日程が過ぎるまではと、十月中は沈黙を守り通していた。

 しかし、水面下では、外務省、慶応大学当局、親中派政治家たちによる阻止工作が着々と進んでいたようだ。学生側には大学当局や教授たちから直接の「圧力」も加えられていた。ある理事は「中国の大学との交流に支障が出たら、学生たちは責任が取れるのか」と迫り、一部の教授たちは「事前に知らされていなかった、メンツをつぶされた」といって反対したという。後に、こうした慶応大側の対応ぶりを聞いた李登輝氏が、「小さいなあ」と呟(つぶや)かれたというが、同感であった。

李登輝氏訪日阻止活動の流れ

 十一月七日(木)。大学当局の意向を受けた三田祭実行委員会が、同サークルの講演計画を正式に却下し、経済新人会側に伝えた。李氏側にはしかし、その後、正式却下の情報までは伝わっていなかったようだ。

 十一月十一日(月)。李登輝氏は午前十一時五十分、日本政府の窓口である交流協会台北事務所に代理人を通じてビザ申請した。申請書類の中の訪日目的が「観光」となっていたので、その場で「講演」と書き加えるよう求められ、代理人はそのようにした。

 阻止活動の動きが表面化したのはこのときからだった。まず外務省が、李氏の訪日目的が三田祭での講演であるのに、肝心の三田祭での講演予定がなくなった以上、その目的での申請は困難だ―などというだまし討ちにも似た、官僚的で冷たい屁理屈をこねだした。

 さらに中国外務省の孔泉報道局長が、李氏のビザ申請から時をおかずして、「中国側は李登輝がいかなる名目であれ訪日して活動することに一貫して反対している」との談話を、例によって李氏を呼び捨てにして発表した。

 始まったな、と思ったが、私は今回、首相官邸は李氏へのビザ発給を拒否する理由はないという方向に傾いている―と見ていたので、警戒しつつ楽観の気持ちが強かった。だが、この日、夜遅く、懇意にしている政治部記者から、「どうも外務省がおかしい。危ないかもしれない」という電話が入った。

 翌十一月十二日(火)。念のため朝、情報収集に動くと、官邸の方はまだ拒否と決めたわけではないようだった。外務省が方針を決めても、官邸がそれを変更することは可能だ。

 情報収集の過程で、慶応大側がキャンパス内の施設は使わせないといっている以上、会場を慶応の外に移せばまだ実現の可能性はあるという感触も得た。学生たちの「慶応の外に会場を移してでも予定の日(十一月二十四日)に講演を実現したい」という熱意に変わりがないことを確認したうえで、李登輝氏に電話を入れた。

「いろいろ情報が乱れ飛ぶかもしれませんが、あきらめないでください」と伝えると、李氏は、「ありがとう。学生たちの純粋な期待にこたえたい」と力強く言われた。学生たちは、直ちに新たな会場として赤坂プリンスホテルを仮予約するなど行動に移った。

 翌十一月十三日(水)。だが、この日から様子が一変する。拉致議連の活動で福井県に被害者らを訪問し、夕刻、飛行機で東京に戻ったのだが、羽田からの車中に、台北駐日経済文化代表処の羅福全代表から電話が入り、なぜか「いろいろお世話になりました。この問題は決着しました」という。

 早々と断念するとはおかしいなと思ったが、事務所に戻ると、「外務省がビザ拒否を決めたようだ」「川口大臣の判断らしい」などの情報が入ってきた。確認のため、外務省の竹内行夫次官に電話を入れてみたが、「上からも下からもそんな報告は受けていない」というばかりだった。だが、後から考えれば、この返事は明らかに事実を隠していた。

 翌十一月十四日(木)。事態はさらに悪化した。外務省の矢野哲朗副大臣が記者会見で、「李氏の今回の訪日は、私人による私的訪問とは認めがたい。申請の仕方が不自然で不誠実だ。再申請があってもビザ発給は認め難い」と表明したのだ。愕然とした。昼過ぎ、当の矢野副大臣から私に電話があり、「今回は申請の仕方がよくない。筋が悪い」という。

 何が筋が悪いのか分からぬまま、「台湾と関係の深いあなたは、むしろ李氏を応援する立場ではないか」と迫ったが、説明は変わらなかった。矢野副大臣が今回の訪日阻止に大きな役割を果たしたのだとすれば非常に残念なことである。

 そこで私は、さっそく米田建三内閣府副大臣、水野賢一前外務政務官、枝野幸男民主党政調会長代理など台湾問題を理解する自民・民主両党の有志議員十五人ほどに呼びかけ、同日夕、国会内で真相究明のための緊急会合を開いた。

 その場には、外務省から田中均アジア大洋州局長、堀之内秀久中国課長、それに学生と李氏との間に立って仲介役として苦労された台湾出身の評論家、金美齢氏、さらに学生代表らを呼んだ。

 田中局長は「今回は査証の申請用件がコロコロ変わり、私人による私的な目的ではないと判断した。川口大臣も同じ考えだ」と川口順子外相の名前を何度か出して弁明した。納得できなかった。判断の根拠がまったくあいまいだった。田中局長が別件で途中退席した後の外務省側は一段とまともな返事ができない状態になった。

 米国は昨年、李氏に五年間の数次ビザを発給したが、日本もそうすべきだった。私人となった李氏にビザ発給を拒否する理由がないからだ。それがなぜ、外務省の判断で「ノー」となったのか。前週までの交流協会の台北事務所の幹部の言動などからみれば、外務省も当初は、拒否は難しいと考えていたフシがあるので、今回は申請から数日の間に、何らかの力が働いたとしか考えられない。

 そのカギを握るのは、やはり川口大臣であろう。川口氏の言動には最近、首をかしげることが多い。北朝鮮による拉致被害者五人を北にいったん帰すか否かの議論でも、川口氏は安倍晋三官房副長官らと対立して、「帰すべきだ」論の急先鋒だった。

日本は主権国家ではないのか

 今回の李登輝氏の訪日問題に、川口大臣が事実上ノーと言ったのだとすれば、なぜかと問いたい。日本は民主、法治の主権国家である。査証発給はすぐれて国の主権行為で、法的に問題がなければ発給するのが筋である。外務省は、要するに中国等の不当な圧力に屈しただけではないのか。川口大臣は、中国が日本側を責めるとき決まって持ち出す日中共同声明の第6項には「内政に対する相互不干渉」も盛りこまれていることを思い出してほしい。

 翌十一月十五日(金)。李登輝氏は結局、今回の訪日申請を断念することを決めた。まだ可能性はゼロにはなっていなかったので残念だったが、李氏とすれば、諸情勢を冷静に分析した結果だったのだろう。小泉純一郎首相の意向が明確に示されなかったことも影響したのかもしれない。仮予約をしていた会場のホテルの方も、翌週まで結論を延ばすことができなかった。

 翌十一月十六日(土)。李氏と再度、電話で話をした。「こんな結果になって申し訳ありません」というと、「いいんだよ、いいんだよ、また機会があるから。それよりあなたこそ頑張りなさい」と逆に励まされた。

 李氏とはこの週、二度、電話で話すことになったが、感銘を受けたのは、李氏がいつも泰然自若として、自然で、真実に満ちていたことだった。じつは昨年、私が家を新築したとき、書を一幅書いてもらったのだが、それが「真実自然」という言葉だった。床の間に掛け、日々肝に銘じているが、李氏は今回、この「真実自然」の手本を示してくれたように思えた。

 李氏の講演原稿の全文(本誌一三二頁参照)を十一月十九日付の産経新聞で読んだ。体が震えるほど感動した。内容は、戦前の日本統治時代、台湾南部の不毛の地に、巨大なダムと潅漑設備を作り上げて一大穀倉地帯に変え、いまも地元の人々に敬愛されているという技師、八田與一の偉業を語ったものだった。

 聞けば、李登輝氏はこの原稿を、一週間ほど考えた後、十一月初めに、ほぼ一日で一気に書き上げたという。いまからでも遅くはない。李氏の訪日に反対した人たちはぜひこの講演原稿の全文を読んでほしい。

 日本人に感動と誇りを持たせてくれるはずだった李氏の来日を無理やり押さえこんだことがなぜ逆拉致なのか、分かるはずである。

 後日、慶応大学の学生たちから手紙が来た。「今回、結果的に失敗に終わりましたが、最後の最後まで戦うことができました。(中略)今後、我々は、今回露呈された日本の現状を改善していくためにも、様々な活動を展開していく所存です」−−わが国にも頼もしい若者たちがまだまだいる、と意を強くした。

【李登輝氏の慶応大学講演草稿 「日本人の精神」全文】
中川昭一氏 昭和二十八年(一九五三年)、東京生まれ。同五十三年東京大学法学部卒。日本興業銀行を経て、同五十八年、現北海道第十一区で衆議院議員に初当選。以来当選六回。農水政務次官、自民党農林部会長などを歴任。平成十年農林水産相。自民党では青年局長、政調会副会長、副幹事長、広報本部長などを経て現在組織本部長。江藤・亀井派。故・中川一郎元農水相の長男。

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