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 <知を楽しむ人のためのオピニオン誌・「正論」>



今月のメッセージ(第89回)(平成15年12月25日)



 お元気ですか。

 二〇〇三年十二月十四日、ついにサダム・フセインが捕まりました。バグダッドでCPA(連合軍暫定当局)のブレマー代表が記者団に開口一番、「ウィー・ガット・ヒム(われわれは彼を拘束した)」といったとき、前列に陣取ったイラクの記者たちのあの騒ぎようには驚きました。そして、ひげもじゃのサダムがスクリーンに映し出されたら、指を突き出して彼を罵倒する(何をいっているかわかりませんが、おそらくサダムをののしっているのでしょう)イラク人記者の姿がしばらく脳裏から離れませんでした。

 ジャーナリストも人の子ですから、人一倍感情の起伏の激しい人がいます。最近はどうか知りませんけれど、昔は記者会見で強い口調で詰め寄る記者も珍しくありませんでしたし、けんか腰の会見もありました。読売新聞グループの渡辺恒雄社長などは政治記者時代、激しい剣幕で政治家をとっちめていたそうです。私も何度か緊迫した会見を見てきました。しかし、このイラク報道陣ほどにジャーナリストが感情をあらわにした例はほかに知りません。

 じつはブレマー代表が公式発表する二時間以上も前に、国営イラン通信がサダム拘束というビッグニュースを流していました。世紀の特ダネといってよいでしょう。当然、イラクの記者たちはそれを知っています。にもかかわらず、半信半疑の人たちもいたと思います。アメリカ人の責任ある高官の公式発言を直接聞くまではどうしても信じられなかったにちがいありません。日本の記者会見場では決してみることのない報道陣のあの歓喜と憎悪の生々しい様子に、あらためて独裁政治の後遺症のすさまじさを思い知らされました。

 サダムは臆病者だった、という記事が新聞に出ていました。「彼は決して自決するような人間ではない。百年の刑を宣告されても牢獄を選ぶ男だ」とだれかが述べていました。とにかく自分の身の安全には極端に神経質だったのは事実のようです。

 サダムはめったに外国へ行きませんでした。どうしても行かなければならないときは、自分専用の椅子まで持っていきました。椅子に毒針を仕掛けられるのを恐れたからです。それでいて同じイラク国民であるクルド族には化学兵器をためらいもなく使用するのですから、とんでもない政治指導者でした。日本人も参加した「人間の盾」作戦は、反戦という美名の下に実際は血も涙もない独裁者の延命をはかるために貢献していたのです。

 へんな言い方ですけれど、臆病なサダムに世界は救われました。華々しく銃撃戦を展開して、「アラブは永遠なり!」なんてカッコいいセリフのひとつもはいて死なれてはろくなことがありません。  ほんとうは、サダムは臆病者というより、卑怯者というべきでしょう。彼の決断ひとつでイラク国民はこれほど苦しまなくともよかったのです。その機会は何度も与えられました。一つだけ挙げておきます。皆さんも覚えていると思いますが、二〇〇三年三月十七日にブッシュ米大統領は「四十八時間以内の亡命を求める」と最後通告をつきつけました。サダムに自国民を救うという気持ちが少しでもあったら、彼は決断していたと思います。言い換えれば、親類縁者も同族も見捨てたのです。信頼していた筋から彼の居場所が密告されたのは自業自得にほか なりません。

 身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあるのです。サダムが二人の息子と二〇〇三年三月中旬にバグダッドを飛び立っていれば、息子たちの死も自分のみじめな穴倉生活も免れたのでした。身を捨てるなどといった判断はおそらく彼には皆無だったでしょう。これがイラク国民の最大の不幸でした。

 逃走用のタクシーのなかで、穴倉でサダムは毎日毎晩、何を考えていたのでしょうか。ナポレオンのごとく、ふたたびバグダッドへ帰還することを夢見ていたとは思えません。法廷でこれからたくさんの理屈がサダム自身の口かられるかもしれません。しかし、真実はただ一つ、単純に死ぬのが怖かっただけの話という気がします。 「正論」編集長 大島信三

「正論」編集長 大島信三

 「正論」平成16年2月号 編集長メッセージ



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