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 <知を楽しむ人のためのオピニオン誌・「正論」>



2月号(1)



「反戦病」の根の深さ

漁師・小野 了(北海道浜頓別町・31歳)

 イラクへの自衛隊派遣をめぐって激しい反対論が巻き起こり、国際貢献や対テロ戦への日本の姿勢が大きく問われることとなった。ここまで「殉職」が大いに政治的に利用されては、亡くなった外交官の方々は本当にお気の毒である。

 もっとも非難されるべきは、テロリストであるのは当然であり、見方によってはテロの遠因を作ってしまった米国政府や日本政府であるのかもしれないが、にわかに反対論を唱えた側も、ではないだろうか。

 故人がイラクの復興を切に願っていたことを知りながら、何故その遺志を踏みにじる主張が出来たのか? 派遣される自衛隊の安全を指摘するのなら、装備を十分にし非常時は現場の判断を尊重出来るよう主張すべきところを、何故それもせず「危険だ!」と連呼出来るのか?……法律論や独自外交等の観点から反対するのならまだしも、感情論だけで大声を上げるのはみっともない(特に「怖い」に至っては、テロの脅しに屈したと思われても仕方ない)。

「平和ボケ」もここまでひどいと「反戦病」と言うべきか。

 平和は不断の努力によって築かれ、維持されるものである。だが現在のイラク国民のように、世界にはそれを望もうにも困難な人々もいる。平和を散々享受し続けた人間には、その切なる叫びが届かないのだろうか? 「反戦病」の根の深さを痛感する。

アメリカの誤算、イラク国民の不幸

農業・小山政行(熊本市・85歳)

 米軍の侵攻でフセイン政権は潰れ、イラクに平和が訪れるかと思われたが、あれから一年、テロは治まるどころか、益々熾烈となり、彼の国の人たちは一体何を考えているのだろうと、私は首をかしげている。

 ふり返って、大東亜戦争が終結した当時の日本を思い浮かべると、終戦の詔勅が出されて以来、一発の銃声も聞かなかった。あれは私たちが腑抜けだったからではなく、「国民と共に堪え難きを堪え、忍び難きを忍び」との天皇の大御心の深さに感じての戦意放棄であった。

 詔勅を知らなかった小野田少尉が、フィリピンで三十年も一人で戦ってきたのを見ても、大和魂が只では鎮まらなかったことがわかる。マッカーサーは事前にそれを知っていたから、天皇制には指を触れなかったのだと思う。

 今度のイラク戦争で、イラクの国民が日本の天皇に代わる仁徳の指導者を戴いていなかったことは、アメリカにとっては一寸した誤算だったに過ぎないだろうが、それがイラクの国民にとっては、最大の不幸だったと思わざるを得ない。

いま求められている自衛隊派遣

無職・松島芳石(東京都大田区・78歳)

 小泉首相は、自衛隊のイラク派遣の意義と必要性を国民に発表した。

 憲法の前文の一部を引用して、「今こそ国際社会において日本の国家意思が問われている」「国際社会の安全こそが国益に叶う」「テロ排除、イラク国の復興こそが凶弾に倒れた二人の尊い外交官の遺志を継ぐことにもなり」「現地は安全を期しても危険性は生ずる。使命感に燃える自衛隊員を敬意と感謝を持って送り出したい」などと、明確に派遣の必要性と意思を表明している。

「虎穴に入らずんば虎子を得ず」ということわざがある。多少の危険、不安は生ずることが予想できても、イラクへ赴かなければイラク国民を救い、その復興を支援することは叶わない。

 民主党のように、治安が安定して不安や危険がなくなってから自衛隊を派遣すべきだなどと、日和見的、一国平和主義の甘い気持ちでは、激動する国際社会からもの笑いになるだけである。安全になってからなら自衛隊の派遣は無用になってしまう。

 国際社会が困惑、混迷し、イラク国民が苦しんでいる今こそ自衛隊を堂々と派遣して、日本の存在を国際社会で明確に示すべきである。

イラク派遣でもっとも気がかりなこと

フリーライター・樋口隆太郎(新潟市・75歳)

 対イラク戦争といわれたものは、アメリカの意図した結末に到らなかったが、大統領は先に終了宣言を出して区切りをつけたかのように対処した。

 しかしその後のイラク国内でのゲリラ戦で、戦争終結どころか、混迷を極めている。国際的な支援活動に従事していた日本の外務省職員が、その犠牲になるという最悪の事態が生まれた。その後も自衛隊派遣が進められ、更に日本人の犠牲者が出てくるであろうことは眼に見えている。

 イラク国内の実情はテロ行為の火中のみならず、ゲリラの横行下では戦場と同じである。新たな自衛隊参加者は銃砲装備で出るとなるから、弾丸飛び交う中での支援活動という場合、時に死を覚悟しなければならないことは当然あり得る。

 自衛隊員がゲリラ戦で死傷した場合、かつての日本軍のような「戦死」となり得るのか。その場合の処置はどう扱われるのか。自衛隊派遣の情報の中で、もっとも気がかりであったことのひとつだ。

 戦場と同じといわれる中での自衛隊員の万一の死亡は、戦死並みの扱いなのか。日本の現憲法下での自衛隊の装備、派遣という重大な行動に国民や家族を中心とした共通の認識のないまま、ずるずると引き込まれていく現実を恐れないわけにはいかない。

テロでなく人類愛こそ必要

パート・堤 静江(横浜市・52歳)

 サウジアラビアで異教徒攻撃をジハード(聖戦)と扇動してきたイスラム法学者が、国営テレビでサウジ内外で続く自爆テロを「(イスラム教が禁じる)自殺で罪であり、殉教にならない」と非難し、過去の過激な言動を自己批判したという。

 自爆テロは自分と複数の相手を死に至らしめるものであり、神が良しとされるとは到底思えない。聖書によれば、人間は神によって創られたものである。神の子同士が殺し合うことを親である神が喜ばれるはずはない。

 幸福を求めている者同士が相手を殺す矛盾が戦争だ。相手を不幸にして自分が幸福になるはずはないのだ。憎しみは憎しみを生み止むことはない。報復には終わりはないのだ。自分たちが滅びないために、他の民族によって滅ぼされないために戦うのではなく、今よりも精神性の高い上位概念を持ってくることが大切なのではないだろうか。

 それは、同じ人間として人が人を殺し合うことは耐え難いという人類愛だ。憎しみを捨て愛を取ることだと思う。地球という美しい星に住む者同士が憎しみ合い、殺し合う愚かさは終わりにしたい。二十一世紀を戦争やテロの世紀にしてはならないと思う。日本大使館の職員二人が銃撃を受け亡くなられた。痛ましい限りだ。

 聖戦という大義は自分たちに都合のよい考え方であり、自爆テロは世界宗教共通の「殺すなかれ」の教えに照らして罪なのだ。


 「正論」平成16年2月号   論文



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