イラクの復興支援中、凶弾に倒れた奥克彦さん(大使に特進)は、母校の早稲田大、オックスフォード大で培ったラガー魂あふれる外交官だった。早大の先輩で防衛庁長官としてルワンダへ自衛隊を派遣、全員帰還を果たした玉沢徳一郎衆議院議員に、今後の課題をきいた。
犠牲を出さないために
−−政府はいよいよ、復興支援のために自衛隊をイラクへ派遣します。期間は一年間、陸海空合計で約一千人となる見通しです。
玉沢 一番大切なのは犠牲を出さないということです。そのためには「安全」「安全」と言うだけでなく、どのような配慮をしたらよいか明確にすべきです。支援中にテロ行為があり得る。それに対し自衛の措置をとる装備は必要です。
−−議論されてきた装備は十分でしょうか。
玉沢 ええ、だいたい議論は尽くされたと思います。装備だけでなく、自爆テロを防ぐ駐屯地の設営も安全確保へ非常に重要です。オランダの例が参考になるかもしれません。
砂漠に強固な陣地をつくり安全を確保する
玉沢 イタリアはナシリアに展開している国家警察部隊が自動車爆弾テロに襲われ、十八人のイタリア人と九人のイラク人が犠牲になりました。
現地では、一カ月前から危険が指摘されていたそうです。イタリアの司令官もそう認識しており、テロ発生の一カ月半前に調査に行った自衛隊員に「攻撃を受ける前に、移らなくてはいけない」と話していたそうです。
けれども、市内にある司令部をすぐ動かせなかったんですね。
イタリアはイラクの警察組織ができあがるまで警察の役割を担っていて、地元民に近いところで仕事をしていたからこそ、町中を離れられなかった点も忘れてはなりません。
一方、オランダ軍は町を出て砂漠に基地を作りました。自衛隊の派遣地、サマワは見渡す限り砂漠で、人口は周辺を合わせて三十万人だそうです。郊外の砂漠に基地を作る予定です。
−−砂漠だと見通しが−−。
玉沢 四方を全て監視して、夜間でも近づくものは全て分かる。しかし、防衛庁が自民党国防部会に示した、基地の予定図は全く不十分なものでした。砂漠にテントを張って、周りを囲むだけのものです。
これは日本にいる人が描いたイメージなんですね。六十度近い高温にまでなる遠隔の地で、人間としての理性的な判断ができなくなるほど暑い砂漠の真ん中での活動なのです。テントを張るだけでは不十分です。ミサイルが一発飛んできたら吹き飛ばされてしまいます。迫撃砲は二キロの距離から飛んできます。
日本の戦史で最も成功したのは、硫黄島の戦闘でした。世界の十大戦史の一つに数えられています。ベトナム軍もこれを真似たと思います。地下にトンネルを掘り、要塞化した。米軍がどんなに艦砲射撃をしても耐えられたんですよ。
イラクのサマワでも、夏の猛暑に耐えうる基地を地下を利用して作って、自衛隊員が安全に暮らせる居住区としなければなりません。私たち国民はその支出を惜しむべきではありません。
もう一つ、砂漠の研究も必要です。暑くてもせいぜい三十度以上の日本で兵器や車を整備している。その倍の六十度以上の熱の下で動くのか。砂嵐に対応するためにも、地下倉庫は役立つはずです。
防衛庁長官が現地へ行くべきだ
−−ルワンダ難民救援のため自衛隊を派遣した経験からは、いかがですか。
玉沢 一九九四(平成六)年、ルワンダ難民が大量に流出したザイール共和国(当時、現コンゴ民主共和国)へ自衛隊を派遣したとき痛感したのは、事前調査と情報の重要性です。調査と言っても、ただ見てきた物をそのまま報告されても何の情報にもならないのです。最初の調査団の報告は「行ってきました。安全でしたが、遠方で銃撃戦が行われていました」という内容でした。必要なのは戦略情報なのです。ザイールに亡命した難民と、旧ルワンダ軍は再攻撃する準備をしているのか。しているとすればいつ頃になるのか。歴史の蓄積や経験がなくてはこうした情報はとれないのです。とれないまま調査団を何回送っても同じです。
このときは、調査にあまりに時間をかけたので、各国部隊と行動すれば危険が少なかったのに、日本は到着が遅れ、余計、危険な目に遭遇したのです。
私は、わが国の外交機関が設置されていないところに自衛隊の部隊を送って無駄に隊員を犠牲にしないためには、自ら当事国と交渉する必要があると判断しました。そこで、先遣隊の諸君と一緒に行くことになったのです。
出発の二日前、来日中だった英国のハード外相と夕食をともにする機会がありました。率直に英国のアフリカにおける外交情報機関の協力をいただくようお願いしました。ハード外相は「よくぞアフリカに行く決断をしましたね」と行って快く申し出を了承して、在ケニアの英国大使、ルワンダで停戦監視中の部隊に連絡することを約束してくれました。
三日後ケニアで、ケニア政府から空自の補給基地となるナイロビ空港の一角を借りることを承諾してもらった折、英国大使から現地の情報分析を教えていただき、翌日はルワンダで英国駐留軍の司令官と情報分析官に会ったのです。
そこで教えられたのは「医療目的の人道支援は三カ月活動すれば義務を全うできる」「今後六カ月間はどう分析しても大きな騒乱はなく、各国と同様に三カ月を限度にした方が安全である」という内容でした。日本では、外務省は期限なく駐留を希望していたのですから、恥ずかしながら、こうしたことは初めて教えられることでした。
米国、イスラエル、フランス、オランダなどの各国部隊も約三カ月をめどに相当数の部隊を派遣しました。ところが日本が行く決断をしたときには各国とも任務を終え、フランスが終了間際でした。日本の新聞は、今でも各国は当時治安が悪くて漸次撤退したと報道していますが、これはまったくの誤りです。
ルワンダからザイールに逃れた難民は百三十万人近くといわれ、ここに疫病が発生し、最大時は一日三千人以上の死者が出るという惨状でした。自衛隊が行ったときには死者が一日三百五十人ほどになっていたものの、各国部隊が引き揚げる中で、部族紛争が再燃したのです。
−−行った結果、派遣しない選択肢もあったんですか。
玉沢 いや、仮に防衛庁長官が銃撃されるようなことがあれば治安が悪い証明になり、ふさわしい手だてが講じられたことでしょう。
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【略歴】玉沢徳一郎氏 昭和12(1937)年、岩手県で生まれる。早稲田大学大学院政治研究課修了。昭和51年初当選、当選8回。農林水産常任委員長、防衛庁長官、農林水産相など歴任、現在は自民党総務、災害対策特別委員長。著書に『農の革命・水と緑の世紀・よみがえれ日本列島』『私の政治観・自由と独立を守るために』など。森派。
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| 「正論」平成16年3月号 |
論文
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