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神様からの御褒美
昭和四十年、私は“陸上の指導者になる”という夢を抱きながら教員になった。最初に赴任したのは千葉県の長生高校。以後二十三年間、佐倉高校と市立船橋高校でも陸上を指導し続けた。インターハイ優勝者を育て、全国高校駅伝でも優勝。駆けっこの大好きだった少年は、青年期を経ていつしか中年になっていたが、選手を育てることに熱中して、思い返せば本当に幸せな日々を送っていた。たとえ体調が悪くても選手と一緒に走りたかった。入院先を抜け出して、ランニングシャツとブリーフ姿で学校に駆けつけ指導したこともある。悲壮な覚悟でもなんでもなく駆けっこの神様が私にそうさせていた。熱血の一方で“ずっこけ先生”だっかも知れないが、私は二十三年間、一日も指導を休んだことはない。
昭和六十三年にリクルートから声をかけられた。今度は実業団の指導者として平成九年に積水化学に移るまで世界選手権やオリンピックに出場できるような選手を育て、全日本実業団女子駅伝も制覇することができた。「駆けっこの神様が感嘆するくらい頑張ろう。結果を選手のせいには絶対せず、自分の努力不足だと思ってさらに頑張ろう」と積み上げてきた日々の御褒美が、Qちゃん(高橋尚子選手)のシドニー五輪金メダルだ。
幼い頃、祖父からよく「どうせやるなら何でも一番になれ。いいことでも悪いことでも、やるなら一番になれ。なれないのならワルにはなるな」と厳しく教えられた。一番になる! 少年時代の刻印を頑固に追い求めてきたことがQちゃんとの出会いにつながり、世界一を呼び寄せたのだろう。私の駆けっこへの情熱はまだ尽きていない。駆けっこの神様の「まだまだ」という声が聞こえる限り、また私を慕ってついてきてくれる選手がいる限り、さらに走り続けたいと思っている。わが駆けっこ人生は、まだまだこれからである。
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