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フォトギャラリーNo.9「相容れぬ文化」 平成16年6月号
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戦友の悲劇
支那事変中、反共親日和平路線を求めて南京政府をつくった汪兆銘は、昭和十九年十一月十日、名古屋大学病院で亡くなった。遺体は、国父・孫文が眠る南京・中山稜のほとりの梅花崗に埋葬されたが、戦後、重慶政権で汪と対立していた蒋介石の命により、遺体は揚子江に流され、墓廟は二回にわたって爆破された。
その後、紫金山麓には、中山陵に向かって跪き、後ろ手に縛られた汪兆銘の石像が建てられた。石像前には、「民族罪人/汪精衛(汪兆銘の号)」と刻まれ、かつては、牢獄を想像させるような柵で囲まれていた(平成十年に訪れた際には柵はなくなり、現在は石像そのものがなくなっている)。孫文の遺書を代筆し、その遺志を継承して戦った汪兆銘の末路である。
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中国・浙江省には、裸体の汪兆銘・陳璧君夫妻を後ろ手に縛って跪かせた石像がある。民衆が唾を吐きかけて罵るようになっていて、それが、教科書に載っている。汪兆銘と並ぶ「大漢奸」、宋朝の秦桧の像(河南省)もやはり跪き、唾を吐きかけられている。最近、海南島に東條英機が跪き謝罪する彫刻ができて日本人を驚かせたが、墓を暴き、死者に鞭打つのは彼の国の伝統である。
道義を愛する日本人なら、せめて、陳璧君が感謝の植樹をした梅が残る名古屋大学病院の庭か横浜市の総持寺に建つ汪の追念碑のそば、あるいは熱海の「興亜観音」の境内に汪の正当な全身像を建立すべきではないか。なお、敗者を悼む我々と相容れぬ文化の国から、戦死者に対する顕彰について干渉されても顧みる必要のないことも、言うまでもない。
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文/元高千穂商科大学教授・名越二荒之助
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