フェミニストの独壇場だった検討部会
条例検討部会の議事録を見ると、林弘子・福岡大学教授、豊永郁子・九州大学助教授、東定喜美子・「作る会」代表(北京JACふくおか副代表)の発言が際立っている。この三人の発言を中心に、フェミニスト色にいかに染められたか、主要な発言を拾って紹介しよう。
1、基本法に対する考え方
第一回条例検討部会(平成十五年二月七日)では、福岡市の条例を男女共同参画基本法の枠にとらわれないことが確認される一方で、極めて良識的な条例であると評価の高い宇部市(山口県)の条例を牽制するような発言がされた。
まず、豊永委員が「条例ではこの(基本法の)基本理念に抵触するおそれのあるような理念なり施策は掲げられないということなのか」と切り出し、これに呼応して石森久広部会長が、「法律が要らぬお節介をしている方が悪いから、そこは自治体に優先権があると読み取って、自治体の我々がつくる施策の方が優先・有効なんだというふうに打って出る手はある」「仮に法律とひょっとしたら抵触しかねないなというところも強く声を上げて行く方向で検討したらよい」と発言した。
さすがに事務局が「基本的に法を逸脱しない方向で」とたしなめたが、「大枠で全体を縛るような発言は問題」「行政の方から逸脱しないつもりですなどという言葉を委員会で引き出してしまうと、非常にまずい」(林委員)、「プラスはOK。引算するようなものをつくるということで、ここに集められたわけではない」(豊永委員)として押し切られた。フェミニストの思いを通すには、法律に制約されないといった傲慢な考えが覗く。
2、「機会の平等」か「結果の平等」か
第三回条例検討部会(四月八日)では、条例の名称を「男女共同参画」にするか「男女平等参画」にするかが議論され、機会の平等よりも結果の平等を目指す立場で多くの委員から意見が出た。
最も熱心なのが林委員で、「機会の平等の時代は、ある意味で終わったと思う。国際的な動向や男女共同参画社会基本法を見ても、一歩踏み出したみたいな解説がされている」「結果の平等には踏み込まないんだという議論で進めると非常に難しい問題がいろいろ出てくる」と発言。石森部会長も「(結果の平等に)踏み込まざるを得ないということになろう」と応じた。「男女共同参画は結果の平等を求めるものではない」との国会答弁があることなどなんのそのである。こうした「結果平等」を求める発言は懇話会の一貫した姿勢である。
第六回条例検討部会(六月九日)でも、「男女の人権の尊重」について、「できれば『男女が直接的であるか、間接的であるかを問わず』という、文言を入れた方がよりわかりやすいし、…結果の平等を確立しようと思えば、やはり入れた方がいい」(東定委員)、「国際的にも間接差別はいけないということは、共通の規範として認識されている」(豊永委員)など、「間接差別」を禁止する規定を求める発言が相次いだ。「結果の平等」を確保したいという意図だ。
間接差別とは、採用数の男女差など結果で判断して、不均衡があればすべて差別と断罪するものであり、能力や意欲、適性など他の要因を認めないものだ。民間企業の人事部長を務める委員から、結果平等への懸念を表明する意見も出たが、顧みられることはなかった。
3、公共契約における優遇措置
フェミニスト主導でつくられる条例案は事業者など民事に不当な介入をすることも意に介さないことが特徴の一つだが、福岡市の場合でも、その傾向が顕著だった。公共契約における事業者の優遇措置もその一環で、第四回条例検討部会(四月二十三日)では、福岡市の条例の目玉として、当初から事務局が意欲を示し、委員からも積極的発言が相次いだ。石森部会長は、「補助金をもらっている団体への報告義務、補助金をもらっている地域とか企業とかという団体に対する報告義務、それから公共契約にかかわる、その企業に対する特別な義務と契約における優遇措置というものを条例に盛り込みたい」という意向を表明している。
しかし、市が発注する契約において男女共同参画の取り組みいかんで補助金の規制をしたり、優遇措置をとったりすることは、逆差別につながるし、何より基準が曖昧。行政の恣意的判断を許すことは、権力による監視・統制の強化を意味しており、社会の活力を奪うものだ。入札の本来の意味からしても、男女共同参画の取り組み状況を評価に入れることには国も否定的な見解を示している。
そうした配慮が全く無いだけではなく、部会としての意見も集約されていない段階で、「作る会」主催の講演会で、石森部会長は私見としながらも、(1)福岡市には、女性の管理職の登用、基準を突きつけて守らせる(2)自治会等地縁団体へは、補助金をもらっているなら協力しろとして、町内会役員の半分を女性にせよと言う?B補助金を出している事業者には報告を義務付け、公共契約事業者には取り組みによって優遇して発注するようにする、などの「条例の仕掛け」を自慢げに語っている。補助金、公共事業によって民間企業を締め付け、一定の思想に平伏させようとする意図である。
4、ジェンダー教育
教育機関を再生産装置と見るフェミニストは、条例でジェンダーフリー教育のお墨付きを得て、学校はもちろん家庭、地域など「あらゆる教育の場」においての影響力を行使しようと狙っている。福岡市の第五回の条例検討部会(五月二十日)でも、教育における男女共同参画の必要性が強調された。
とりわけ、福岡市はジェンダーフリー教育を熱心に進めており、市民局男女共同参画課作成の小・中学生向け男女平等教育副読本が市内の全小中学生に配布されている。この副読本は、ジェンダーの視点を子供達に植えつけるためのワークブック形式になっていて、すでに授業で使用されている。条例に教育に関する規定を盛り込まれれば、既に行われているジェンダーフリー教育にお墨付きが与えられ、家庭教育にまでその影響が及ぶことになる。
事務局から副読本が紹介されると、石森部会長は「もう(学校では)先行しているんですね、福岡市としては。ほかの領域にも影響を及ぼすために、この条文を挙げるということでよろしいでしょうか」と協議もそこそこに委員の同意を得た。
5、性と生殖の権利
女性の権利を主張するフェミニストが是が非でも盛り込みたいのが「性と生殖に関する女性の権利」(女性の性の自己決定権)である。委員からは、「若い女性に対して、性教育が徹底されていないがために、自分の性と生殖の権利を自分で放棄してしまうような行動をとってしまう。例えば援助交際がその例といえるのかもしれない」(豊永委員)、「生きていく上で性と生殖というのは非常に重要な問題。そこら辺をきちんと受けとめていないために、援助交際が起きたり、性の乱れがある。そういう性が氾濫している割には性教育を受けていないという現状がある」(東定委員)など性教育の必要性が熱心に語られた。
男性委員からは疑問の声も出たが、「性と生殖は家庭からもうはみ出してしまっているものだというような認識の世代なので、家庭内における男女の関係を規定する条項とは独立して設ける必要がある」(豊永委員)という意見に押し切られた。
しかし、この「性と生殖の権利」は、「子供を産むか産まないかを自分で決める権利」として学校の性教育で取り上げられて物議を醸しており、懇話会の「中間とりまとめ」への市民の意見では、反対意見が殺到し、大幅な修正を余儀なくされている。そもそも、検討部会では、廃案になった千葉県の堂本案が理想のように何度も引き合いに出されたことでも、世間の感覚といかに乖離した議論が展開されてたかが分かる。
6、公衆に表示する情報への配慮
第六回条例検討部会(六月九日)では、禁止規定の「公衆に表示する情報への配慮」の項の「公衆に表示する情報」の中に、「性別による差別的取り扱い、または異性に対する暴力的行為を助長し、連想させる表現」だけでなく、「固定的役割分担を助長し、連想させる表現」も含めるべきという提案が、委員から出された。これに、「『あなた、つくる人、私、食べる人』という役割分担を助長するようなものは配慮してほしい」(東定委員)、「市とか県がつくったパンフレットを一回点検したが、男性役割と女性役割に基づいている」(林委員)といった支持の声が相次ぎ、反論のないまますんなり盛りこまれた。ただ、憲法で保障する表現の自由との兼ね合いもあることから、禁止規定に挙げながらも、“配慮”と表現することで批判をかわそうとした。
しかし、「固定的役割分担」の定義が定かではないし、それを「連想させる表現」とは一体どういうものか、常識で考えればさっぱり分からない。もちろん、フェミニストの思想に沿って考えるという前提に立てば極めて明確で、「男らしさ女らしさ」「母性、父性」「良妻賢母」を表現したり、「主人」「亭主」「主婦」「家内」といった言葉を使うことも「条例違反」と断罪されることになる。既に教科書や副読本、募集作文などに関してフェミニストの干渉が各地で始まっていることから考えて、表現の自由への侵害は単なる杞憂ではなく、重大な憲法違反の規定との認識が必要だ。
【略歴】山口敏昭氏 昭和三十四年(一九五九年)、山口県生まれ。山口大学経済学部卒。週刊『日本時事評論』編集長。男女共同参画や原子力立地を主に担当。同紙は昭和四十年代から官公労の違法スト問題追及や教育正常化の運動理論を発信し、国鉄民営化、教師の資格審査導入、原子力平和利用、憲法改正などを訴えてきた。
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| 「正論」平成16年6月号 |
論文
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