法治なき法治国家
国際交流コンサルタント・海原創(バンクーバー市・67歳)
日本は、法整備のゆき届いた近代国家である。少なくとも大多数の日本人がそう信じている。
人間が考案した法はむろん完璧ではありえず、その解釈にもいくつかの道があるのは確かである。
それにしても、昨今、法治国家日本のだらしなさはどうしたことだろう。法は幾層にも重なり、果てしなく成立するが、法や定めをきちんと守ろうとする国家や国民の姿勢で申せば、日本はとても世界の一流国とは申し難い。
卑近な例だが、相撲の立ち合いに見せる行司の行為など、実に象徴的である。制限時間いっぱいとなって、行司は二人の力士に厳とした声で「待ったなし」と告げる。次の瞬間、どちらかの気合が不十分で立てないと、行司はまるで当然のように仕切り直しを命ずる。勝負審判も観客も馴れ合いで知らぬ顔である。「待ったなし」は厳しいルールであり、これに背いた力士には即座に負けを宣告すべきが勝負の「定め」であろう。プロの碁や将棋に「待った」がないのと同じである。
東京都千代田区の禁煙条例は、いったん定められても一般に周知されるまでの間、違反者は軽い罰とされた。法とは、定めたらその日から厳しく実施されねば、真面目に守る人などいないだろう。
入国管理法にしても同じである。現在わが国には二十数万人の不法滞在外国人が居る、といわれているが、なぜ退去勧告が出せないのだろう。
違法の最たる出来事は、最近の年金不払い騒動である。年金法があっても、これを立法化した議員が大挙不払いをしていて、法手続きが複雑でうっかりしていた、などと言い訳する。罰する側にも情緒が絡んだりして、今やわが国は穴だらけの法治国家となった。
法は行使するために定められ、的確に機能してこそ意味がある。法をきちんと守る正直者が馬鹿を見るようでは、法治国家日本の先が知れていよう。
安易なシートベルト着用の強制
元教員・新谷松了(新発田市・69歳)
近年、高速道とカーナビの普及で県外への日帰りドライブも容易になった。年齢を気にしながらも、無理のないコースを選ぶよう心掛けてはいる。
しかし、やっかいな問題が一つある。シートベルトというやつが、どうにも私には合わないのである。体を固定し、腹と胸を圧迫されながら数時間運転することになる。シートベルトは運転者の疲労を増すばかりか、的確な運転操作の妨げとなることを信じて疑わない。
長年、自然に身についた運転感覚は、無意識のうちに安全運転につながっている。私は次のとき、シートベルトを反射的に外す。
?@大雨のとき?A狭い道路で視界の悪いカーブがあるとき?B夕暮れどき?C道路が混雑しているとき?D運転時間が長くなったとき。
以前、山形県内を走行中、夕立にみまわれワイパーがつくる狭い視界に顔を近づけるためシートベルトを外した。雨はすぐやんだが、直後に警察に捕まり減点1。その後も遠出の際、シートベルトで二回捕まった。警察官には、シートベルトは運転に支障があると持論を展開してはみるが、所詮往生際の悪い弁解とみるか。
許してくれなどと言う気は毛頭ないが、私は更に言う、「法律違反と言われても他人に迷惑をかけるわけでなし、ベッドから落ちないよう体を縛れと言うのと発想が同じ」「免許を持つ運転者の自主判断に任せ、強制すべきでない」と。現場の警察官にもの申すのは筋違いなのか。
ゴールデンウイークの表と裏
フリーライター・樋口隆太郎(新潟市・75歳)
巷で、四連休だ五連休だと言われているとき、用あって車で街の周辺を走っていた。ここは名にし負う穀倉地帯、今まさに田植えの農繁期であった。早朝から夕方遅くまで泥田の中で家庭総出の作業の真っ最中である。一列に並んで老いも若きも、昔より整理されて広くなった田の中で、黙々と植えていた。
今は自宅から離れたところに田を持つ農家が多いという。都市化現象で、農業は人の住む土地から追われている。マイカー時代だから、田植えをする土地まで三十分や一時間もかけて行くのは当たり前という。今の農業は、週末農業と言われるように、平日は他の出稼ぎで収入を得ているところが多い。農繁期だけは、一家の働き手が実家の作業を手伝う。その最盛期がこの連休だという。この時期に農事を消化しなければ、人手も足りない、時間もないので、農業をやめて転職する農家が多くなったと聞く。この連休中に見た田園風景の中でも、点々としている休耕田が目につくことは、わが国の農村の姿をリアルに見た思いがする。
連休だといって、海外に憩いを求めてさまよう日本人、その裏に、連休こそ田植えと日本の農業を守って泥田で働く農家の姿。どちらも現実でありながら、同じ日本人の姿として重ね合わせがたい風景が、今年もまた過ぎ去っていく。日本国土の春とは、いったい何なのであろうか。
| 「正論」平成16年7月号 |
論文
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