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 <知を楽しむ人のためのオピニオン誌・「正論」>



今月のメッセージ(第95回)(平成16年7月1日)



 お元気ですか。

 日朝首脳会談、あるいは六か国協議における北朝鮮の外交術といいますか、交渉術といいますか、なかなかのものですね。言い換えれば、北朝鮮外交はタフ・ネゴシエーションという綱渡り的手法を弄してかろうじて維持されているようにも思えます。

 北の外交を見ていてあらためて思い出すのは、高英煥(コ・ヨンファン)氏の著書『亡命高官の見た金正日』(池田菊敏訳、徳間書店、一九九五年)にあった一節です。同氏の脱北体験記『平壌25時』(一九九二年。訳、版元ともに前掲書と同じ)もスリリングな内容でした。元北朝鮮エリート外交官の高氏については初めて名前を知る人もいると思いますので、略歴を簡単に紹介しておきましょう。

 高英煥氏は一九五三年、北朝鮮の慈江道江界市西山で生まれました。名門である平壌外国語大学フランス語科を卒業し、外交部(外務省)に入りました。本省ではアフリカ担当課長をつとめました。フランス語に堪能で金日成、金正日父子の通訳もつとめたエリート外交官でした。一九九一年、コンゴ駐在一等書記官のとき、韓国に亡命しました。現在はソウルに住み、研究所に勤務。ときどき、評論をメディアに発表しています。

 高英煥氏は、『亡命高官の見た金正日』のなかで北朝鮮の対日戦略について一章をもうけています。この章は、「北朝鮮の外交が対日外交政策において致命的な失敗を犯したことがある」という書き出しで始まります。致命的な失敗というのは、一体、何だったのでしょうか。以下、すこし同書をなぞってみたいと思います。

 同書によれば、一九五〇年代から六〇年代にかけて金日成は日本共産党との協力関係に重点をおいていたそうです。しかし、金日成が主体思想を唱え始めてから関係がおかしくなりました。その代わりに北は日本社会党にシフトしたのです。北には、「キジの代わりにニワトリ」ということわざがあるそうです。キジ(共産党)がいなくともニワトリ(社会党)があるさ、ということでしょう。

 一九七〇年代、八〇年代というのは朝鮮労働党と日本社会党の蜜月時代でした。しかし、そのうちに万年野党の社会党に対して北の官僚の間にも失望感が漂い始めたのでした。

 一九九〇年九月二十四日、二つの訪朝団が呉越同舟で平壌に飛びました。金丸信元副総理を団長とする自民党訪朝団と田辺誠副委員長を団長とする社会党訪朝団でした。二党それぞれ対等といっても実質的には金丸訪朝団といってよいでしょう。高英煥氏は、社会党への失望が金丸信の平壌訪問を成功させる出発点となったと指摘しています。

 自民党と社会党、それに朝鮮労働党の三党は共同宣言を調印しました。この第一項、「三党は、過去に日本が三十六年間朝鮮人民に与えた大きな不幸と災難、戦後四十五年間朝鮮人民がうけた損失について、朝鮮民主主義人民共和国に対し、公式的に謝罪を行い十分に償うべきであると認める」という文言があとで大きな問題となりました。政府代表でもない国会議員が賠償支払いの約束をするとは言語道断、といった批判もありました。

 とはいえ、金丸訪朝団には成果もありました。北に拘束されていた第18富士山丸の紅粉勇船長と栗浦好雄機関長の釈放に道筋をつけたことです。当時の政治状況からいってとても話せる雰囲気ではなかったのでしょうが、金丸訪朝団は拉致のラの字も口にしていません。

 当時の金丸氏、田辺氏らが北朝鮮による日本人拉致事件を知らなかったはずはありません。一九八八年三月二十六日、参議院予算委員会で共産党の橋本敦議員は三件のアベック失踪事件について質問しました。そのとき、梶山静六国家公安委員長は、「昭和五十三年以来の一連の行方不明事犯、恐らくは北朝鮮による拉致の疑いが十分濃厚でございます」とはっきりと答弁しているのです。

 平壌における金丸団長の行動には、信じがたいほど軽率なところがありました。自民、社会両党の代表団は平壌から列車で三時間近くかかる妙香山の金日成の別荘(あちらふうにいえば招待所)に招かれて一泊しました。列車は深夜に到着したので金日成との会見は翌日になりました。そして午後三時の列車でふたたび平壌へ戻るのですが、別荘を出る直前、金丸氏だけが「もう一晩残ってほしい」と呼びとめられたのです。

 結局、金丸氏と秘書二人、警護二人が残りました。日本人通訳はすでに出発したあとだったのでしょう。田辺氏は全くかやの外でこの事実を平壌へ向かう列車のなかで初めて金丸側近の自民党代議士から知らされたのです。これまで友党として親密な関係を誇示してきた田辺氏としては煮えくり返る思いだったでしょう。知らぬが仏といいましょうか、田辺氏はすでに金日成がキジ(社会党)をニワトリ(自民党)に代えたことに気づかなかったのです。それにしても日本側の通訳なしで金日成とサシの会談に臨むというのは大胆すぎます。いかにもアバウトな金丸氏らしい大雑把さですが、これは大失態といわざるを得ません。

 まんまと術中にはまった金丸氏が帰国したあと、金日成は朝鮮労働党国際部と外交部に対して次のような“教示”を与えたそうです。

 「われわれがこれまで日本社会党との関係だけに集中させていたのは間違いだった。金丸に会ってみれば、何も社会党だけでなく自由民主党との関係を発展させるべきだ。虎穴に入らずんば虎児を得ずで、日本反動の巣窟である自民党のなかに入り込まなくてはならない。自民党との関係をうまく調整すればわれわれの革命にプラスになりうるのだ」(『亡命高官の見た金正日』一六四頁)

 高英煥氏は、結局、自民党が労働党の第一のパートナーになった、と述べています。この“教示”のあと、北朝鮮は自民党にどうアプローチしていくのか、とても関心があります。

「正論」編集長 大島信三

 「正論」平成16年8月号 編集長メッセージ



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