■六か国語を話す新外相
−−ご多忙の中、お時間を割いていただき、ありがとうございます。
陳外相 今日は、日本語による初めてのインタビューなんですよ。
−−日本人ジャーナリストとして最初の単独インタビューであり、大変光栄に思っています。
陳外相 ただ、私は日本語はあまり得意じゃないんです。
−−そんなことはありません。私は陳水扁総統(大統領)に一九九九年春、東京でインタビューしました。総統選前ですが、当時日本で陳総統を本命視する人はあまりいませんでした。お会いして直感的にこの方が勝つのではないかと思いました。
このたび台湾政府では初めての日本語のわかる外交部長(外相)を陳総統が選ばれた。こうして通訳なしでお話しできるのですから、陳総統には感謝しています。
陳外相 私は日本語を二年間しか勉強しなかったのです。それも昔々の話です。だいたい私は日本に留学してもいません。
−−でも、何度も来日されているのでしょう。
陳外相 ええ。私は一九六四年にアメリカへ行きました。そのとき、東京で一泊したんです。これが最初の来日です。東京はオリンピックの準備で追われていました。その後、三十年間もアメリカにいました。向こうの大学で博士号をもらって、アメリカ連邦政府の公務員になりました。十九年ほど勤めていました。
民主化運動をしていたので国民党政権から睨まれ、台湾に帰ることが出来ませんでした。李登輝先生が総統になって、十三年前にやっと故郷に戻ってきたんです。その間、ほとんど日本語を話す機会がありませんでした。
《二期目になる陳水扁政権の外交部長に選ばれた陳唐山氏は一九三五年に台湾の南部、台南県塩水鎮で生まれた。台湾大学大気物理学科卒。米国に留学し、オクラホマ大学で修士号、プドゥー大学で博士号を取得した。七三年から九二年まで米商務省に勤務。その間、反体制運動に参画し、全米台湾同郷会長や世界台湾同郷会長をつとめた。九二年、立法委員(国会議員)に当選。九三年、台南県長(知事)。二〇〇一年、ふたたび立法委員となった。総統府科学技術諮問委員会の委員でもあった。なおこのインタビューは六月四日、台北市の外交部で行われた》
−−六か国語をお話しになると聞いていますが、やはり英語が一番得意でしょう。
陳外相 もちろん、台湾語ですよ(笑い)。
−−実弟の陳燕南氏は国民党政権下で外交官として活躍されました。駐日代表処で文化組長をつとめたこともあるそうですね。お兄さんはずっと反体制派。それがいまや逆転して外交官のトップです。
陳外相 弟は引退して拓殖大学の教授になっています。
| 「正論」平成16年8月号 |
論文
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