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 <知を楽しむ人のためのオピニオン誌・「正論」>




9月号 (116)
野球評論家・桐蔭横浜大学客員教授
江本孟紀


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蜃気楼に終わった甲子園

 父は高知県警の刑事だった。勤務地が変わるたびに僕も転校を繰り返し、小学校から中学校にかけては喧嘩に明け暮れた時期もある。腕白だったことは間違いない。その頃から身体が大きく、どの学校でも「一目置かれる」存在にはなったが、なかなか親しい友人はつくれなかった。今と違って口下手、社交下手だった僕は、“転勤族”の子として、「みんなで何かをやるときは必ず参加する」ことを心掛けた。それがスポーツだったのである。野球だけでなくドッジボールや相撲をしても誰にも負けなかった。

「巨人・大鵬・卵焼き」の時代である。実はいくつかの相撲部屋から勧誘があったのだが、東京六大学で活躍する長嶋茂雄選手(立教大)に憧れた僕は、いつしか野球少年になっていた。放課後はグラブ片手にグラウンド直行の日々。中学時代から目をかけてくださった高知県随一の指導者・松田昇監督との縁で“名門”高知商業高校に入学。夢は甲子園出場。周りはみんな「エースで四番」だったが、僕もまた負けずに黙々と練習に励んだ。

 エースナンバーを背負って投げた昭和三十九年の南四国大会。甲子園を目前にしながら、僕は自らの四連続死球でその道を閉ざしてしまった。チームメイトには済まない気持ちでいっぱい、試合をつくるのも壊すのも投手次第という責任の重さと孤独を痛切に感じた。またこの敗戦によって松田監督が更迭されてしまい、「名門の自負とはこんなにも厳格なのか」と二重の喪失感を味わった。

 新任の伊藤秀雄監督は人心掌握術に長けた熱血漢で、僕たちはその指導のもとふたたび奮い立った。二十一連勝を挙げ翌四十年の選抜大会出場を決めた。が、ここでも甲子園は蜃気楼となった。部員の暴力事件によって出場辞退、一年間の対外試合禁止を余儀なくされたのである。唖然呆然…結局、僕は高校時代、一度も甲子園には行けなかった。号泣したが、そうした喪失感からまた何かが生まれてくる予感もあった。



自分に負けない意地を持て

 新たな目標は大学野球。僕は、田淵、山本、富田の三羽ガラスが飛ぶ鳥落とす勢いの法政大学のセレクションに合格、全国から猛者が集まる中で七、八名という狭き推薦入学枠に入ることができた。大学通算四十八勝を挙げ「小さな大投手」と呼ばれた山中正竹と一緒に一年から二人だけリーグ戦のベンチに入り、ひたすら野球に邁進できると思ったが、順風満帆とは行かなかった。

 先輩が後輩に課す“しごき”の意味を僕は全否定しないが、それにも限度がある。単なるいじめになってはいけない。四年生の秋、あまりの後輩いじめに見かねて止めに入り、思わずポカリとやった。当時の監督とは反りが合わなかったが、この一件で「反抗的」の烙印を押され、プロを目指しながら、僕は大学最後の秋季戦の舞台に立つことができなかった。

 熊谷組に入って二年目の昭和四十六年、突然東映から声がかかった。「棄てる神あれば拾う神あり」だったが、何とその年の秋には南海へトレードされた。野村克也監督の引きだった。ノムさんは前々から僕を見ていてくれたようで、「お前は使える男や」と背番号16をくれた。人を一瞬にしてビッグバンさせる野村マジックで僕は大きく変わった。いきなり十六勝を挙げ南海の勝ち頭に。僕のプライドや心意気をノムさんは実にうまく活かしてくれた。期待に応えたい、そう思わせる気配りがノムさんにはあった。だから「旅に出てこい」と阪神に出されたときも苦笑いで頷くしかなかったのである。

 阪神でも僕は精一杯投げ続けたが、アクシデンタルな引退劇の裏には、「野球ばかりが人生やない」と思わせる理不尽なものがあった。忍の一字で堪える手もあったが、僕の反骨精神は新たな舞台へと僕を走らせた。思えば甲子園出場を断たれた少年時代の絶望がその後の僕に本当のプライドを教えてくれた。自分に負けない意地を持て、ということである。

◇ ◇ ◇

 えもと・たけのり 昭和二十二年(一九四七年)高知県生まれ。高知商業−法政大学−熊谷組を経て昭和四十六年東映フライヤーズ(現北海道日本ハムファイターズ)に入団。南海ホークス(現福岡ダイエーホークス)、阪神タイガースと移籍し、五十六年に引退するまで通算一一三勝一二六敗一九セーブ。球宴出場五回。二百万部のベストセラーとなった『プロ野球を10倍楽しく見る方法』や『総理大臣 長嶋茂雄』など著書は約六十冊。参議院議員二期。プロ野球解説者(サンケイスポーツ専属評論家)。

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