
教科書検定問題の収拾を発表する宮沢官房長官=昭和57年9月9日、首相官邸
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日本マスコミの誤報をもとに、教科書検定を批判的に報じる中韓両国の57年7〜8月の新聞
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昭和五十七年六月、マスコミ各社が、五十八年度から使用の高校歴史教科書の検定について、《日中戦争の「侵略」を「進出」と変えた出版社もある》などと報道(実は誤報)したことを受け、中韓両国が「歴史の改竄」などと日本政府に抗議、外交問題に発展した。
政府は宮沢喜一官房長官(当時)が八月下旬、「(批判された記述を)政府の責任で是正する」「検定基準を改める」との談話を発表。中韓両国も受け入れ、九月九日に宮沢長官が問題の収拾を発表した。そして同年十一月、検定基準に「近隣のアジア諸国との間の近現代の歴史的事象の扱いに国際理解と国際協調の見地から必要な配慮がされていること」という「近隣諸国条項」が盛り込まれる。
これを機に、歴史教科書は「自虐」度を増す。近隣諸国条項は、影響の大きさのみならず、騒動のきっかけとなった報道が誤報であったこと、中韓両国の内政干渉の産物であることなどから、撤廃を求める声が今なお強い。
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