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信州の木曾福島町で、営林署に勤める父隆信と、実家の精肉店を手伝っていた母繁子の長男として生まれた。♪ここは御国を何百里 はなれて遠き……子守のおばさんがよく歌っていた「戦友」がいまも耳朶に残っている。赤い夕日に照らされた満州の広野に立つ日本兵の墓標。ひょっとしたらそんなイメージが幼い私の情感に染みこんで、いまの思想の基底をなしているのかもしれない。
負けず嫌いな少年だった。父の転勤で信州各地を転々としたが、保育園の頃、地元の子供たちのいじめに対し、もう一人の転入生と組んでケンカをした。大勢に勝って一目置かれるようになったが、多勢に無勢で立ち向かうという、その後私の生き方となった原型がこの頃の体験にあったように思う。また、いまからはなぜと思うほかないが、中学時代の私はソ連に憧れていた。「一番好きな国は?」と教師に聞かれ、「ソ連。スポーツ選手が優遇されているから」と答えたのを覚えている。皇室に対しても鼻で笑うようなところがあった。勉強にもスポーツにも励んで成績も良かったが、意欲が空回りして、友達との摩擦に悩むこともあった。決して左翼少年ではなかったが、どこか背伸びして気取っていたのだろう。
そんな頃、たまたま終戦直後の昭和天皇とマッカーサーの会見の話を聞く機会があった。次いで木下道雄の『皇室と国民』という冊子を勧められ読んだことが重なって、それを切っ掛けに国や皇室に対する考え方が大きく変わった。尊崇すべきものがわが国の歴史にはある。心のなかで自然と頭(こうべ)がたれた。
だが自分が素直に感動した昭和天皇の話を友達に伝えようとしたところ、「あいつは危険だから相手にするな」と生徒に言い触らす教師が現れた。本当に驚いた。これが初めて戦後教育のおかしさを意識した経験だったが、後年、日教組の「反日」と正面から戦うことになるとは思ってもみなかった。
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