☆編集者へ=あきる野市の阿部寛さん(大学生・21歳)から。
高森明勅氏(拓殖大学客員教授)が、七月号及び九月号で、皇室典範改正論をとなえられたが、これには納得できない。
古代の血縁関係が双系的であったとするが、これには、ここではあまり深くは触れないが、私は相当の疑念を持つものである。仮にこの説に理があるとしても、皇位の世襲が歴史的に言って皇統に属する男系の子孫による継承を意味することは覆せない。
そこで高森氏は、大宝令の規定を根拠に、律令制下、皇位の世襲は双系主義であったと主張する。継嗣令に「凡そ皇兄弟皇子を親王と為す(女帝子亦同じ)」と規定があり、母君の女帝たる身分でもっても、親王となることとしていた。この規定は、元明天皇のように親王の妃であった女帝たる母の身分で、親王になるか王になるかが決定するにすぎない。
高森氏は、このことに気づいていながら、大宝令は、皇位の世襲に女系の子孫による継承を含むこととしていたとするが、それは論理の飛躍というものである。
なぜなら、大宝元(七〇一)年に完成した大宝令の規定は、神亀六(七二九)年二月に起きた「長屋王の変」の原因となった后妃が皇族出身であるという当時の不文律を前提としたものであり、しかも、皇族男子と一般臣民出身の側室から産まれた皇子は皇族とされたのに対し、皇族女子は大宝令制定当時、一般臣民男子と婚姻することはできなかったし、それができるようになってからも、皇族女子と一般臣民男子の子は皇族とされたことはないからである。
従って、同大宝令の規定に皇位の世襲の意義に影響を与えるということはできない。即ち、この規定をもって、皇位の世襲に女系の子孫による継承を含むと解することはできない。
ところで、高森氏は、皇位の男系主義の伝統は歴代天皇の半数以上が庶子だったことや旧皇族十一宮家のうち現存する家が四家に減っていることを根拠として庶系を認めていたことで保っていたとする。
確かに、その側面はあったといえよう。然し、歴代の天皇陛下の半分が庶子だったからといって、歴代の皇后の半分以上が、絶対的に皇男子を産むことができなかったというわけではない。例えば、明治天皇の皇子・皇女の大半は夭折されているといったことのように、当時の医療事情を考慮すると、過去と現在では事情が違ってくるはずである。
また、旧皇族の家が減っているとはいえ、東久迩家には男子の方が多くいらっしゃる。庶出の皇族を認めない状態が続いても、昭和二十二年の旧皇族臣籍降下は違法であるのだから、旧皇族の臣籍降下を無効とする等して、宮家を増やし、皇子さまを産む后妃の数をある程度確保すればよいということになる。よって、高森氏のいうごとく、庶子を皇族と認めていないことを根拠に男系主義の維持は困難であるとはいうことはできない。
そもそも、百歩譲って、仮に女系の子孫を認めることを前提として女帝を認めるとすると、配偶者の選定が問題となる。現在でも、一般国民の殆どが結婚すると夫の姓を名乗る。少なくとも形式的には父系制社会である。ということは、安易に后妃のように一般臣民から皇婿を選ぶことができない。もし、皇婿が道鏡のような野心家であったら一大事である。おそらく、皇族女子の婚姻の範囲を大幅に制限することになり、后妃の選定に相当時間がかかっていて、紀宮殿下の嫁ぎ先が未だに決まっていない今日の状況を考えると、永久に結婚できない皇族女子が出てくるかもしれない。さらに、一般臣民と皇族女子の間に生まれた子を皇族とするとなると、いままでの一般臣民とされた女系の子孫との整合性が問題となる。これら二点が問題となり、世論が沸騰したとき皇室はもちこたえることができるかどうか疑問である。
以上のように高森氏の所論は適当ではない。七月号で、等々力孝一氏が述べたように、現在の皇位継承に関する問題は国家の根源にかかわる重要な問題である。編集者の方々はよく心得ておられると思うし、私がいうのは少し生意気であるが、念のために申し上げる。低レベルな週刊誌にありがちの感情論やマルキシズムの残兵たるフェミニズムに左右されないようお願いしたい。
☆編集者から=おっしゃるように皇位継承に関する問題は国家の根源にかかわる重要なテーマです。この問題についての論文はたくさんありますが、そのなかで高森論文は注目されました。阿部さんのような若い世代から批判の声があがりました。これを契機に活発な意見がかわされることを期待しています。本誌の読者はレベルが低くありませんので感情論やフェミニズムに左右されることもないでしょう。
☆編集者へ=昭島市の飯島愛三さん(会社役員・60歳)から。
雅子妃殿下のご病気をめぐる昨今の騒動について、八月号に掲載された八木秀次氏とさかもと未明氏の寸評は、実に腹立たしく感じた。両氏とも詰まるところは、皇太子殿下、妃殿下ともに皇族であるならば余計なことに心動かさず、皇室の伝統やしきたりを守ることにのみ専念され、そうすることで起こるであろうご不自由さやご不幸に思われることがあっても我慢されるのは当然で、全ては国家国民の為であり、ゆめにもご自分たちの存在価値を見つけようなどと思ってはなりません、お志を抱いて努力された過去のキャリアなど何の役にたちましょうや、それよりお世継ぎの事こそ最大のお務めであることをくれぐれもお忘れなく、と言っているのである。
いやはやいつの時代のことかと錯覚しそうな何とも人もなげな言いようではないか。これこそ、何も足さない何も引かないをモットーとする時の針が止まったような宮内庁から出たのかと見紛う人格否定の正体である。そして、これは正真正銘、分をわきまえない諌言の書である。
このような慮外の諌言をするときは、一般の社会にあっても相当な覚悟をもって臨むものである。軽い気持ちの言い放しでは済まないのである。両氏の文面からは、そのような覚悟のほどは到底感じられない。例によってそれぞれの博識ぶりを披瀝してたっぷり自慢げなしたり顔が目に浮かぶような文面である。
特に、八木氏の博識自慢ぶりは以前から鼻についていた。例えば、六月号に載った八木氏の「連合赤軍とジェンダーフリー」には…田原氏には以前、ジェンダーフリーについてレクチャーしたことがあったから、正確な理解の下でそのようなコメントをしたのだろう…とある。
他者の考え、知識を学んで自分のものにしていくのは人の常であろう。他者がそれをわざわざ披瀝するものでもあるまい。このようなにやけた心持ちの人に、神ならぬ生身の人間として両殿下が抱えてきた問題の深刻さは到底理解できまい。
八木、さかもと両氏に聞きたい。あなたがたは、自分の存在価値を他者に決めつけられ、自分の意志をころして他者の指図通りに伝統やしきたりを守ることに専念し、他者の前では決して喜怒哀楽を現さない、それを生涯貫く、そのような人生を送ることに耐えられるか。或いは、そのような生活になることが分かっていながら、自分の愛娘の結婚に下心なく喜んで同意できるか。
我々が皇室の存在を国の誇りに思い、その伝統の継承を大事に思うなら、決して皇室の方々を生涯捕らわれの身が宿命付けられた人身御供の如く見てはなるまい。今我々の代に万が一にも、不幸な結果が起こらないように心掛けるべきであろう。
☆編集者へ=栗東市の吉田博さん(無職・84歳)から。
私はいま美術本を手作り中である。題名は『正論・絵物語』といえば、本誌愛読者ならおわかりであろう。あえて申し上げると、本誌毎号の目次の次の頁のカラー版「絵物語」のスクラップである。
一昨年夏、罹病退院後の身辺整理で、平成五年からたまった百二十冊余の本誌を整理中、ふと見開いた一冊でこの『絵物語』が目についた。その年(十四年)の九月号を見ると、連載九十六回目とある。さらにそれまでの各号の絵を再見、解説を読んでいるうちにスクラップ保存を思いついたのである。
その後も連載は続き今年の八月号の写真作品・村上隆の「サトエリKo2ちゃん」未収蔵=が百十九回目である。ちなみに第一回は平成六年(一九九四)十月号で作品は洋画・青木繁の「海の幸」石橋美術館蔵=である。第一回を示す字もこの企画が長期連載になるとの説明も見当たらず、十一月号の金屏風・ロバート・ラウシエンバーグの「ゴールド・スタンダード(金本位制)草月美術館・1964」に初めて「2」と出ている。以後、連載回数が記されているが、この時点ではこのように凄い連載になるとは、誰も思わなかったであろう。
老体の不器用な指での本誌からの切り取り作業は、思ったより困難でなかなかはかどらない。カラーコピーは微妙に色が変わるのでだめだ。このため透明紙の挿入式スクラップ帳へ移し終えたのはまだ五十枚余にすぎないが、終生実物を見る機会がない多彩な名作品を、名文の解説とともに幾度も幾度も拝見するのは格別の醍醐味である。
蛇足で恐縮だが、この名文の解説者は本誌の記者さん、それとも産経新聞社の美術記者さんなのだろうか。お名前が最初から全く見当たらないのが、もどかしい。
☆編集者から=うれしい話です。一度チラッと見られて、あとは永久にひらかれることのないグラビアが多いなかで、スクラップに保存されるとはシアワセなことです。解説者は産経新聞文化部の記者です。今月号から同じ文化部の別の記者にバトンタッチされました。こんごともよろしくお願いします。
もう一つ、うれしい話。本誌は十一月五日に臨時増刊「日本海海戦と明治人の気概」を刊行しますが、どんどん予約申し込みがはいって喜んでいます。ぜひ若い世代にも読んでほしいと思っています。臨時増刊につきましては三二六頁にお知らせがありますのでご覧下さい。
| 「正論」平成16年10月号 |
編集者へ・編集者から
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