お元気ですか。
晩秋。本を何冊か読みました。そのなかで一番面白かったのは辻和子著『熱情』(講談社)でした。本のサブタイトルは「田中角栄をとりこにした芸者」。天下周知の故田中角栄元首相の愛人だった元神楽坂芸者が本を書いたのです。
カバーには自宅の庭で仲良く並んだ角栄氏と著者の写真が使われています。ツーショットはこれ一葉しかないそうです。仲良く愛人と並んだ角栄氏はこのとき、内閣総理大臣でした。現職の首相がSPや秘書官を従えて堂々と妾宅(ちょっと古い表現ですが)に乗り込む。そのこと自体、破天荒な行動です。しかも、あろうことか、二人でカメラにおさまる。いくらプライベートな生活空間で周りは信用のおける人たちだけといっても、田中首相の大胆さは驚きです。愛人と書きましたが、おそらく角栄氏にとって辻和子さんは世間でいうところの愛人以上の存在だったと思われます。
大胆といえば、蔵相時代に角栄氏は和子さんと有楽町や日比谷で映画を観ていたというのです。フォーカスやフライデーはまだ創刊されていなかった頃ですが、帽子を目深にかぶり、大きなマスクをかけて映画館に入る角栄氏を撮ったらどのメディアも飛びついたでしょう。
オビのコピーには、「角栄の物心を支え、角栄がすべてを許した芸者が初めて明かす『生(き)の角栄』」とあります。元首相に関する著作はずいぶんありますが、たしかにこれほど「ナマの角栄」をあからさまに描写したものはありません。
このごろは一冊を読了するのに一週間以上かかるときもあるのですが、ひさしぶりに『熱情』は一日で読みきりました。ナマとは少ししゃれた言い方をすればライ
ブになりますが、この本はライブ感覚で読者を圧倒します。
著者は本のなかで元首相を「おとうさん」と呼んでいます。二人の間には二男一女が生まれました(真ん中の娘は一年にも満たないで亡くなりました)。いうまでもありませんが、二人の息子は田中真紀子さんの異母姉弟になります。上の男の子は中学生になるまで両親が本当の夫婦だと信じていました。だから、この家では「おとうさん」という呼び方は少しも不自然ではなかったのです。ちなみにツーショットの写真は、上の男の子(京さんといいます)が撮ったものだそうです。
政界の大物とその愛人。それだけで興味をそそられますのに、著者が芸者になるまでの話や花柳界のしきたり、神楽坂の生態がまたじつにうまく描かれています。角栄氏と出会うまでの自分の人生や周辺について著者はかなりページをさいていますが、興味津々であきさせないのです。
『熱情』の文章を拝借しながら著者のプロフィールを少し紹介しましょう。
辻和子さんは昭和二年(一九二七年)三月、東京・平井町の花屋で生まれました。家はわりと裕福だったのですが、父親はあまり商売に熱心ではありませんでした。そのため使用人にいいようにされ、一家は夜逃げ同然で葛飾区高砂のあばら家に住むことになったのです。
お金がないうえに病気がちの母親は床に臥(ふ)せっていることが多く、その日を生きていくのがやっとでした。近くの河原でアカガエルやタニシをとって食べていました。母親は三十歳で亡くなりました。七、八歳の和子さんは昔の使用人に連れられて置屋めぐりをします。置屋というのは、芸者衆を何人も抱えているところですね。そこで親が借金するかわりに娘は年季奉公するわけです。しかし、どの置屋も栄養失調でガリガリの小娘を引き取ってくれません。
さいごにたどりついたのが、十人ほどの芸者を抱える神楽坂の置屋「金満津(かねまつ)」でした。立っているのもやっとの少女を見て、女将(おかみ)はニンニクがたっぷり入った味噌汁をふるまったのです。
人生は出会いで決まるといいますが、ほんとに著者の場合は絵にかいたようなケースです。辻和子という女性の運命の出会いは、もちろん昭和二十一年(一九四六年)秋の角栄氏とのそれでしょう。しかし、彼女にとって決定的なのは、「金満津」の四十歳を越えたばかりのきっぷのいい女将との出会いだったと思います。
女将のあだ名は「女長兵衛」。江戸時代の侠客、幡随院長兵衛の女性版というわけです。実際、女将は姪の養女がすでにいるのに、ガリガリの少女も養女にしたのです。もっとも、女将は少女を連れてきた花屋の元使用人に五十円を渡しています。言い換えれば、少女は置屋にたった五十円で売られたのです。著者もまた、そう書いています。
ただ、実情はどうあれ、少女にとってはまれにみる幸運な買い手にめぐりあったといえましょう。もうアカガエルもタニシもとる必要はありません。年季にしばられた境遇でもありません。さらによかったのは芸事、とくに踊りが好きだったことです。そしてお酒も。著者も告白していますが、水商売が性にあっていたのです。十四歳で円弥(えんや)の名前でお座敷に出ました。半玉ですね。花代を玉(ぎょく)ともいいます。まだ半人前で玉の半分しかもらえないので半玉です。一本になったのは十六歳のときでした。
初めて会ったとき、角栄氏二十八歳、円弥さん十九歳でした。角栄氏は一目ぼれなのですが、花柳界は意外に男女関係がお堅いようで、二人が一夜をともにしたのは翌年です。著者ははっきりと書いていますが、芸者は自分を安くは売らないのです。それからさまざまなドラマが始まりますが、あとは『熱情』にゆだねましょう。なお、「正論」十二月号で産経新聞文化部の桑原聡記者が辻和子さんにインタビューしています。ぜひ、ご覧ください。
「正論」編集長 大島信三
| 「正論」平成16年12月号 |
編集長メッセージ
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