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 <知を楽しむ人のためのオピニオン誌・「正論」>



1月号



定率減税廃止案の報道に思う
大学院生・鈴木潮(静岡市・38歳)

 現在、景気の回復傾向を受けて政府税制調査会は、個人所得税の定率減税廃止の方向でまとまりかけている。この件の報道や世論で気になるのが「増税」という呼び方をしていることがあることである。

 現在、日本の税収は歳出の約半分である。残りの半分は国債(借金)で後世代に先送りしており、税制の欠陥は明らかである。財政再建を進めなければならない中で、歳出削減だけでは二〇一三年のプライマリー・バランス黒字化の政府目標は達成不可能と言わざるをえない。このような状況を踏まえれば増税は必然であろうが、日本では景気回復優先論や、もともと伝統的に増税に対する抵抗感が非常に強い。

 定率減税はあくまで景気対策であり、景気が回復すれば早急に廃止するのが筋である。また各種控除もあくまで特別な個人への配慮であり、これを「増税」と呼ぶのは筋が違う。また、ここで世論の圧力で定率減税や控除の廃止ができなければ、政府は将来本当に減税が必要な事態になったときに、恐らくこの事態を思い起こし、断固減税を拒否することになりかねない。

 マスコミも財政問題を長期的視点でとらえ、安易な言葉で世論を惑わせないように、報道に関してはよく考えてもらいたい。

いつまで続ける対中ODA
会社員・冨岡義幸(周南市・47歳)

 十二月号の特集「中国の情報戦に対処せよ」は興味深い内容だった。日本は、ついこの間まで、工業製品を生産するための人件費の安価な国のひとつとして中国を見ていた。ところが、中国の野望はとんでもないところにあった。

 なかでも、対中ODA必要論を唱える面々の実態を本誌で読んで、中国のATM状態の日本の外交が情けなくてならない。人工衛星を楽々と打ち上げ、有人衛星も打ち上げると息巻いている中国に、人工衛星の打ち上げに失敗続きの日本が、なぜ援助しなくてはならないのか。

 そのうえ、多くの中国国民は、日本が多額のODAを中国に対して行っていることを知らない。もちろん、自国民に知らせない中国政府当局にも問題はあるのだが、感謝されない援助をいつまで続けるのだろうか。

 常に中国の顔色をうかがい、土下座外交を続ける日本の外務省。北朝鮮による日本人拉致問題を見ても分かるように、日本の外務省が日本国民のために働いたことなど、ほとんどないといっても過言ではない。

 中国を単なる人件費の安い国と思っていたら、「軒を貸して母屋を取られる」ということわざのようにならないとも限らない。しかし、日出る国の衆院議長までこのありさまでは、心配が的中しそうだ。

親不孝
画家・奥村直(東御市・70歳)

 二十四歳の青年が無惨に虐殺されたと報じられ、しかもその残忍極まりない所業の一部始終が画像として全世界に流された。被害者の青年の行為については無謀、迷惑、自己責任、国の冷酷等々様々な評価の声が寄せられた。しかし親不孝という評価は、未だに無い。

 無謀と誹られようと、青年客気の行為は必ずしも非難されるべきではない。しかし、彼が親不孝者であったことは動かし難い事実である。報道によれば彼はニュージーランドから忽然と姿を消し、中東に赴いたことすらご両親は知らなかったという。一片の葉書で近況を伝える優しさすら、彼は持ち合わせていなかったのか。

 私は、彼と同じ二十四歳で戦火に消えた小泉信吉氏のことを思う。小泉主計大尉は筆まめな青年であった。昭和十七年一月軍艦那智に乗り組んで大東亜戦争に参戦、フィリピンに、蘭印(当時)に、アリューシャンに戦い、同年十月二十二日特設砲艦八海山丸で敵駆逐艦と交戦、艦橋上に戦死するまでの九カ月間に、ご家族あてに三十一通の手紙を書いておられる。気楽なフリーターと違い、月々火水木金々の帝国海軍士官でありながら、家族両親へのこの優しさはどうであろう。そしてその頃の青少年は、多かれ少なかれこのような優しさを持ち合わせていたのである。親を思い、家族縁者を思い、家郷を思う心は、いつの間に我が国の青少年の心から消えてしまったのか。親孝行・親不孝という言葉が今や全く死語となったことだけは確かである。

 子曰、父母在不遠遊 と。こんな言葉を教えられたこともあるまい。

中国東北部を旅して
会社員・柳秀尚(茅ケ崎市・58歳)

 十月末に、大連からハルビン・新京・奉天といった中国東北部(旧満洲国)の都市を旅行してみた。予想に反して、列車は時刻通りに発着し、その車内は小ぎれいであった。ただ、駅の待合室の売店には、日本や台湾との武力衝突を特集した軍事雑誌が十数冊も並んでいるのにはいささか驚かされた。

 新京(現・長春)の「偽満帝宮」という名で呼ばれている旧満洲国皇帝溥儀の王宮には、江沢民元主席の揮毫になる゛勿忘九・一八″(満洲事変勃発日九月十八日を忘れるな)の大きな石碑が立ち、その前で多くの観光客が記念撮影をしていた。また、展示室には皇帝溥儀と日本軍高級将校の蝋人形が置かれ、正しく日本の傀儡国であったという印象を強く植えつけるものであった。ただ、都市の中心部に建つ歴史的建造物はそのままに保存され、街の雰囲気を落ち着いたものにさせていた。周辺には高層ビルが林立し、今の中国の急速な発展を感じさせられた。

 中国の人達とは、現下の日中間に横たわる問題について語り合った。最初こそお互いに遠慮して、なかなか本音を出さなかったが、何度かやっている間に率直な意見を交わすことができた。貴重な体験である。インターネットの激しい反日サイトも伝えられているが、中国の人達は周辺国、特に日本の歴史や現状についてほとんど知らないで批判している感じだった。お互いに歴史をよく勉強した上で臆せず、驕らず、堂々と意見を交わし合う、血の通った交流が必要だと思った旅であった。

 「正論」平成17年1月号   論文



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