
このままでは地獄に逆戻りだ! われら脱北者を絶望の淵に追いやる親北韓国(1)
「朝鮮日報」記者 姜 哲煥
早いもので、筆者が北朝鮮を脱出し、韓国に来て十二年の歳月が過ぎた。二十四歳で脱北した私は北朝鮮で、九歳から約十年間を祖母、父、妹とともに耀徳政治犯収容所で過ごした。その後に出所したものの、五年間を“元政治犯”のレッテルを背中に張ったまま生きることを強いられた。
私たち同様、無実の罪をかぶせられた大勢の人々が送られた収容所では、政治犯への公開処刑はもちろん、無慈悲な拷問が日常的に行われていた。子供も例外ではなく、収容所内の学校では強制労働をさぼって野生のクルミを食べた級友に“血の制裁”が加えられる現場も目撃した。私自身も苛酷な制裁の対象となったことがある。支給される食糧もわずかなトウモロコシだけで、常に飢餓そのものと付き合わねばならぬ毎日だった。
収容所での苛酷な生活環境に耐えきれず生きることを拒否し、自ら命を絶つ無実の人たち。北朝鮮に「帰国」したことを後悔し、死に行く元在日朝鮮人帰国者やその妻である日本人妻。金日成・金正日父子とその政権だけが生き長らえ、人民のほとんどには“人権”というものが認められない北朝鮮。その現状を世界に訴えようと私は“自由の祖国”である韓国に渡った。脱北者の数自体、現在よりはるかに少なく、しかも、強制収容所経験者ということで、亡命当時は注目された私ではあるが、その後から現在に至るまで、韓国社会、特に韓国が北を見る目は確実に変わった。自らの目で見た十二年間の韓国社会をここで振り返ってみたい。
→つづく
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【略歴】姜 哲煥 一九六八(昭和四十三)年、平壌出身。祖父が朝鮮総聯京都支部商工会会長を務めた元在日朝鮮人の北朝鮮帰国者の家族に生まれる。七七年、祖父の粛清と同時に耀徳政治犯収容所に収監される。八七年出所。九二年に中国を経て韓国に亡命。漢陽大学卒。韓国電力公社勤務を経て、現在、朝鮮日報記者のかたわら北韓民主化運動本部共同代表を務める。収容所をはじめ北朝鮮の人権抑圧の実態を描いた『北朝鮮脱出』(共著、一九九四年、文藝春秋)は広く衝撃を与えた。ほかに『平壌の水槽』(同)など。
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| 「正論」平成17年2月号 |
論文
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