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昭和四十六年から一年間放送された「おれは男だ!」が大人気となり、四十四年に「夕月」でデビューした私は銀幕のスターから“お茶の間のスター”に転じた。その後もいくつもの青春学園ドラマに主演し、ブロマイドの売り上げが四年連続して一位という時代もあった。
ところが二十七、八歳になってまで「青春だ」「青春だ」で通していたら、さすがに周囲からいろいろと批判されるようになった。いい歳をして何バカをやっているんだ…と。自分自身、演技に対する迷いも抱き、俳優として壁にぶつかっていた。たまたま田村正和さんのドラマを見たときだ。彼の大人の演技(ベッドシーンだったが)に「ああ、これは負けるな」と嘆息し、すっかり落ち込みかけた一方で、「待てよ。たしかにベッドシーンでは田村さんにかなわないけど、夕日に向かって走るシーンだったら俺は田村さんに勝つな」と思った。比較するような場面ではないかも知れないが、自分が「これだ!」と思うことで勝負するのが一番後悔しない生き方だろう。
それからの私は、どんな番組をやるときでも、「この役の青春を描きたいんです」とよく言っていた。どんなに揶揄されても、バカにされても、言いたい奴には言わせておけばいい。私は自分がこれでいいと信じた道を貫き通そうと決めた。いいときもあれば悪いときもある。人の情を大切にし、耐えて、努力さえすれば、いずれ結果は出るだろうと言い聞かせた。面白いもので、そう言い続けて頑張っていたら、今度はいつの間にか「青春の巨匠」と呼ばれるようになっていた。「バカ」から「巨匠」になったのである。
四十歳をすぎたとき、わが青春の熱血は政治に向かった。残りの人生を自分のことだけで過ごしていいのか。大時代と言われてもいい。世のため、人のため、国のため、何か自分にもできるはずだ。そう思ったのである。それこそが青春の志ではないかと。その思いは、政界を離れた今も変わってはいない。
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