お元気ですか。
五月中旬の夕刻、パーティーで町村信孝外相と語る機会がありました。そこで町村さんがサンケイスカラシップ(海外留学制度)の奨学生だったことを初めて知りました。
私が産経新聞東京本社に入社したのは昭和三十九年(一九六四年)ですが、サンケイスカラシップがこの年にできました。当時、海外留学のチャンスは限られていましたが、産経新聞社とフジテレビが中心になって財団をつくって現役の大
学生に特典をプレゼントすることにしたのです。
現在は、多くの大学が海外の大学と提携して交換留学生制度を設けていますし、私費留学も日常茶飯事です。しかし、あのころの大学生にとってサンケイスカラシップは憧れのまとで、全国の秀才たちが狭き門に挑んだのでした。
サンケイスカラシップは平成二年(一九九〇年)に幕を閉じるまでの三十六年間に延べ五百十一人の大学生をアメリカ、イギリス、フランス、西ドイツ、カナダ、オーストラリアの大学へ送り出しました。
「奨学生になったからといって、産経新聞社に入る必要など全くないんです。とにかく、なんの義務もないんです」
パーティー会場で町村さんがそう語っていましたが、実際、朝日新聞社に三人も入っています。もちろん産経新聞社にも入っていますし、官界、経済界、学界などにも有為な人材を送り込んできました(東大教授も京大教授も誕生しまし
た)。
あとで調べましたら、東大生だった町村さんはサンケイスカラシップの第三期生で一九六六年から六七年にかけてアメリカのウェズリヤン大学に留学し、経済学を学んでいました。
あれはいつでしたか、当時外務省国内広報課長だった多賀敏行さんと初めて顔を合わせたとき、開口一番、「サンケイスカラシップにお世話になりました」と挨拶されたので、途端に初対面の堅苦しさが消えたものでした。多賀さんはその後、宮内庁へ出向し、平成五年から八年までは天皇陛下の侍従をつとめ、現在はカナダ・バンクーバー総領事の要職にあります。
産経新聞社は、経営的には苦しい時期のほうが長かったのです。にもかかわらず、三十六年間もよく留学生事業を続けてきたものです。身内の人間がそういっては手前味噌になってしまいますが、スカラシップのメンバーから外務大臣などを輩出したのですから、この制度は大いに誇っていいと思っています。
社内でもサンケイスカラシップという言葉さえ、もう知らない人たちがふえています。なつかしさのあまり、ついつい昔話になってしまいました。
「正論」編集長 大島信三
| 「正論」平成17年7月号 |
編集長メッセージ
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