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 <知を楽しむ人のためのオピニオン誌・「正論」>



今月のメッセージ(第108回)(平成17年9月1日)



 お元気ですか。  残暑とはよくいったもので、まだまだ暑さが残っています。先月はロシアへ行ってきたのですが、むこうも予想以上に暑かったですね。  ドストエフスキーの「罪と罰」の舞台は、ご存じのようにサンストぺテルブルクです。

 「七月はじめの酷暑のころのある日の夕暮れ近く、一人の青年が、小部屋を借りているS横町のある建物の門をふらりと出て、思いまようらしくのろのろと、K橋のほうへ歩きだした」

 これは工藤精一郎訳「罪と罰」(新潮文庫)の書き出しですが、主人公のラスコーリニコフは猛暑の時季に殺人を犯したわけです。

 いま日本では、自殺サイト殺人事件の捜査が関心を呼んでいます。男二人、女一人を殺害した前上博容疑者(三十七歳)は、さらに四人目を物色中だったといわれています。いずれ真相があきらかになるでしょうが、被害者の蒸発を自殺とみせかける、ネット時代でなければ考えられない手口ですね。完全犯罪をねらって自殺願望者に的を絞ったこの男の冷徹さにぞっとしますが、もしドストエフスキーが生きていたら自殺サイト殺人事件に異常なほどの関心を寄せたと思います。

 殺人の話とはまったく無関係ですが、なにげなく手にした京都大学大学院人間・環境学研究科(学部は総合人間学部)が刊行した「人環レビュー2004――教育・研究活動の自己評価」という三百ページを超える冊子に興味をもちました(「人環」というのは、「人間・環境学研究科」の略です)。

 なぜこの冊子に興味をもったかといわれても、深い意味などありません。ロシアから帰って、山のようにたまった郵便物を整理していたとき、ぱらぱらとめくっていた冊子のさいごの文に引き止められました。「「おわりに」と題して「人環レビュー」編集委員会の福井勝義委員長がつぎのように述べていたのです。

◇ ◇ ◇
 大学の教員は、どのような教育や研究活動を行っているのか。大学外の方々のみならず学生を含めた内部の関係者も、たいへん関心がある。ところが、大学内部で過ごしてきた教員の間ですら、それぞれの教育や研究活動は、お互いに不問であった。よく指摘される「たこつぼ」である。

 なるほど、大学は外部から見ると、「ブラック・ボックス」である。親たちは、子どもを大学に無事送り込めば、りっぱに社会に育つものと信じている。どのような先生が、どのような研究をし、どのような研究をしているのか、ほとんど知るすべもない。

◇ ◇ ◇

 こういう問題意識をもった研究科のリーダーたちはまず「ブラック・ボックス」を打破しようと、構成メンバーの教育と研究活動などの公刊を考えたわけです。所属の教員たちに提案したところ、やはり抵抗はあったようです。

 「だれに向かって発信するのですか」

 という質問もあったとか。福井委員長は、「日本のどこに住んでおられようとも、子どもや孫に夢を持っていただけるような出版物にしたい」と答えたそうですが、いちばん知りたいのは京大の総合人間学部、あるいは大学院人間・環境学研究科を受験したい人でしょう。

 うかつな話ですけれど、「おわりに」を読んでやっとこの冊子の内容と刊行目的がわかりました。要するに、自分はこんな仕事をしましたという先生方の報告なんですね。ゴルフと同じ自己申告。世間にむけて公表する業績報告というわけですから、いまの大学教員は昔とちがってずいぶんきびしくなったな、と思いました。昔は、一本の論文も書かない先生方がごろごろしていたのです。

 私たちは大学教員についてほとんど何も知っていません。一体、いま日本に大学、短大がどのくらいあるか。大学の先生方は総勢どのくらいになるのか、その先生方は何を研究しているのか。みな教育者として適格なのか。そういうこともほとんど、だれも知りません。

 この冊子によってじつは大学内部ですら、各教員の研究テーマなどほとんど知るすべもないことがわかって、すこし安心しました。隣の研究室の先生が何を研究しているのかもわからない。

 秋深し隣はなにをする人ぞ

 もっとも、企業社会も部課がちがうと、ほとんどなにもわかりませんから、どこも五十歩、百歩というところでしょう。

 文部科学省に聞きましたところ、現在、日本には四年制の大学が七百二十六校、短大が四百八十校あるそうです。驚きました。こんなにたくさんあったんですね。

 教員の数ですが、専任の教員と兼務の教員にわけて数えるのだそうです。四年制の大学のほうは、専任教員が十六万一千七百十三人。べつの仕事もしている兼務教員は十六万二千四百十二人。短大の場合は、専任教員一万一千九百六十四人。兼務教員二万六千四十人。大学と短大の専任教員をあわせると、十七万三千六百七十七人になります。

 世間では大学教員のスティータスは高いのですが、なんであれ数が多いと希少価値はさがります。大学教員の皆さんのためには、こんな数字は出さないほうがよいのかもしれませんね。ゴメンナササイ。

 さて、冊子を贈ってくれた京都大学大学院人間・環境学研究科(および総合人間学部)ですが、どういう研究科なのか、あまり知られていません。

 法学部と大学院法学研究科、経済学部と大学院経済学研究科というぐあいに学部と大学院が名称も似ていると、双方がいかにも系列化しているように見えてわかりやすい。しかし総合人間学部と大学院人間・環境学研究科では、どうもぴんとこないですね。

 そもそもこの研究科は平成三年(一九九一年)四月、京大で最初の学部をもたない大学院として開設されたという経緯があります。と、いかにも京大出のように知ったかぶりをしましたが、こちらは私大出。手元の冊子を見ながら書いているだけの話です。京大関係者でも、この研究科についてちゃんと説明できる人は多くないと聞きました。冊子贈呈のお礼をかねて、ちょっとご案内してみましょう。

 母体は旧制三高です。戦後、教養部になりました。平成四年(一九九二年)に京大十番目の学部として総合人間学部ができ、教養部は廃止されました。現在、京大全学部の語学、教養科目は総合人間学部の先生方が担当しています。

 語学は英語、ドイツ語、フランス語、ロシア語、イタリア語、中国語、スペイン語、朝鮮語、アラビア語、日本語(外国人留学生のため)の十科目あるそうです。これだけの語学講座をそろえているとは、外語大はともかく、一般の私大では考えられません。さすが京大ですね。

 平成十五年(二〇〇三年)四月、総合人間学部と大学院人間・環境学研究科が一体化しました。この時点で総合人間学部の教員は、すべて大学院人間・環境学研究科教員に統一されました。いってみれば、一ランク格が上がったわけです。

 平成十七年(二〇〇五年)五月一日現在、総合人間学部の全学生は五百九十九人(定員は一学年百二十人)。大学院人間・環境学研究科修士課程三百七十五人(定員は一学年百六十四人)、同博士後期過程三百二十二人(定員は一学年六十八人)。

 大学院人間・環境学研究科の教員は教授八十二人(教授陣には中西輝政氏や佐伯啓思氏なども名をつらねています)、助教授四十五人、講師一人、助手二十七人。合計百五十五人です。全学部五百九十九人の学生に教員百五十五人。やはり国立大学は恵まれているなあ、と私立出はため息をつきたくなります。

 この「人環レビュー2004」には、外国人教師七人を含む総勢百九十人が紹介されています。客員教授や学外の非常勤講師などが含まれているのです。

 肝心の教育・研究活動の自己評価ですが、業績にばらつきがありすぎて酷なレビューだなという印象をもちました。外交官、商社員、海外特派員が赴任地によって業績にハンデがつくのは否めません。学問の世界も専攻によって、どうしても差異が表れると思います。そこらは勘案すべきだと思いました。

 総合人間学部の先生方は教育のほうも重要だと思います。ただ、それをどう表記するか。そのへんの表現法が十分でないようです。毎年、あらたな視点で取り組んでいることを示すために授業内容などを具体的に書いてもいいのではないでしょうか。

 おそらく先生方の論文はほとんど読まれることもないでしょう。論文、著作、学会やシンポジウムで何を発表したかも大切かもしれないけれど、各年ごとの自分の授業内容を詳しく書いたほうが、読まれると思います。ほんの一握りのための、あるいは文部科学省へのポーズとしての冊子作成ではなく、受験生のために先生方の業績、講座の詳しい内容を公開したらどんなに社会のために役立つでしょう。

 そういう方向を視野にいれていただき、各大学・短大でもこういう冊子を刊行してほしいと願っています。

「正論」編集長 大島信三

 「正論」平成17年10月号 編集長メッセージ



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