お元気ですか。
毎週の土曜日、あるいは日曜日は新聞の切り抜きに取り組んでいます。とくに念入りに切り抜いているのは中国情報です。億劫になるときもありますが、これを始めてからはベタ記事まで目をとおすようになりました。
ニュースを見落とすことが以前より少なくなったのです。これは切り抜きのおかげですね。
『朝日新聞』十月二十八日付朝刊に「ネット競売に赤ちゃん出品」「男児2・8万元 女児1・3万元」「中国、人身売買容疑で捜査」という見出しの記事がありました。ずいぶん前から少々の出来事には不感症ぎみなのですが、これには驚きました。もちろん、ていねいに切り抜きました。
上海支局・塚本和人特派員発の切り抜き記事によりますと、赤ちゃんが出品されたのは上海に本社を置く競売サイト。十月十七日ごろからカー用品の競売コーナーで「生後100日以内の男女」が出品されたというのです。実際に赤ちゃんが用意されていたかどうかはわかりませんが、人間が自動車の部品のように売り出されたことに変わりはないのです。
人間の売買をめぐる人類の暗黒史は、奴隷市場を例に出すまでもなく古くからあったことです。それ自体は珍しいことではありませんが、ネット競売というところに時代性を感じます。時代はいつであれ、人間を物品のごとく扱う行為のおぞましさは目をそむけたくなります。
競売は一元から始まり、定価は男児が二・八万元、女児が一・三万年とか。一元は約十四円ですから、男児三十九万二千円、女児十八万二千円となります。
記事によりますと、出品者は「創新者永遠」と名乗って、「私たちの主な目的は子どものいない家庭に福音を届けること」と記していたとか。たわけた理屈というべきでしょう。サイト側は翌日には削除し、地元警察に通報したそうです。当然の措置ですね。
もっとも、このネット競売が単なるいたずらの可能性もあります。ネット社会の匿名性が悪質な冗談をうむ土壌となっているわけで、それはどんどんエスカレートしていく恐れがあります。
中国は一九七九年から「一人っ子政策」を始めました。その世代が適齢期を迎え、毎年約一千万組が結婚しています。かれらはご存じのように「小皇帝」と呼ばれてきました。あちこちで派手な結婚式があげられています。新郎新婦の見栄というより、双方の親のほうが張り切っているところもあるのでしょう。いずれにしてお中国のブライダル産業はたいへんな盛況にあるようです。
結婚のつぎは出産。『朝日新聞』十月二十五日付朝刊の「吉日の出産『赤信号』」もベタではありますが、気になる記事でした(新華社)。
記事によりますと、黒竜江省ハルビンのある病院は、出産日を人為的に選ぶための帝王切開手術をしない方針を打ち出したというのです。
ということは、いままでは出産日を人為的に選んでいたのですね。
記事によりますと、中国では「8」や「6」など縁起のよい日や祭日を選んだり、腕のよい医者を指定したりするために帝王切開する人が増えているのだそうです。いくら縁起をかつぐ民族性といっても、これは度を越していると思います。
なにしろハルビンのその病院では、六月一日の国際児童節に通常の約三倍の出産があったとか。その半分はこの日に合わせて出産を選んだのだそうです。日本でもほんとうは大晦日に生まれたのに、元旦生まれにして届けることがあります。しかし、単に縁起のよい日に合わせて出産日を人為的に操作するという話は聞いたことがありません。
病院側が、こうした出産は幸運どころか、母子の健康に害を与えかねないとして、科学的根拠のない出産日の選択は拒絶する、というのは当然ですね。
先日、DVDでようやく念願の中国映画「北京ヴァイオリン」を観ることができました。二〇〇二年の陳凱歌(チェン・カイコ―)監督の作品ですね。
片田舎にヴァイオリンの上手な少年がいました。父親は貧乏でしたが、少年の才能を開花させるために北京のコンクールに出場させます。結果は五位でした。しかし、審査員はこの少年がいちばんだと思っていました。この世界は実力だけではダメだと知った父親は審査員の一人に息子をあずけます。十三歳の少年と男にふられた女の交流など、見せ場の多い作品ですが、ここで取り上げたのは少年の生い立ちです。
少年は捨て子でした。北京駅の構内に捨てられていたのです。赤ん坊のかたわらにヴァイオリンが置いてありました。赤ん坊をみつけた男は、このヴァイオリンは死んだ母親の形見だといって、少年にヴァイオリンを習わせます。少年はヴァイオリンの天才でした。ついには国際コンクールを目指すまでになっていきます。
主人公チュン少年を演じたのは、実際にヴァイオリンの天才といわれている音楽学院の生徒だそうですが、まさに迫真の演技をみせてくれます。
少年のじつの親のいずれかは、音楽家であったのかもしれませんね。映画はそこまでは明かしませんが、超一流の才能というのは努力だけでは決して開花しないこと、そこには天性のものがあることを陳監督は明確に訴えています。
半面、映画はこの父子に血はつながっていませんが、その情愛はじつの親子となんら遜色のないことを教えてくれます。
「正論」編集長 大島信三
| 「正論」平成17年12月号 |
編集長メッセージ
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