「ヒトはどのようにして誕生したか」をめぐる熱い論争(1)
国際ジャーナリスト 大野和基
全米に注目されたある公立学校の理科の授業
米東海岸ペンシルベニア州の小さな田舎町ドーバー郡で、中高校生に教える理科の内容に全米の注目が集まっている。
二〇〇七年から、ダーウィンの進化論をくつがえす新理論(ID=Intelligent Design=知的設計論)導入を決めた教育委員会に対し、保護者十一人が反対して激しく対立、議論は科学者、哲学者、数学者ら専門家も巻き込んでついに連邦裁判にまで発展した。ブッシュ大統領が二〇〇五年八月、ID論を支持する発言をしたこともあり、熱い対立はますますヒートアップしている。
「自然界は非常に複雑で、ダーウィンの進化論が主張する自然淘汰だけで説明できるほど単純ではなく、知的な設計者が介在しているはずだ」というのが新理論の柱で、ID論と呼ばれる。
キリスト教徒が多い米国では、神の存在を信じる人が各種世論調査で六割を占めるが、公教育での天地創造説は一九八七年最高裁判決で違憲とされた。そこでID論が台頭したが、果たして設計者は存在するのか、それは「神様」なのか。とにかく、『ニューヨーク・タイムズ』はじめ各紙が裁判の模様を連日トップで報じ、『タイム』誌などがこぞって特集を組み、メディアが初公判に殺到する騒ぎなのだ。
米国ではこの半世紀以上、冷戦期ソ連への対抗心から心の信仰より科学教育が優先されてきた。しかし冷戦が終結し、「九・一一」で脅威がより身近にあることを実感してからというもの、米国民は科学よりも心の信仰へ回帰し始めたようにみえる。ダーウィンの『種の起原』から百四十年、米国社会はこの新理論をどう許容するのか。現代米国を理解する一助となることを願い、現地報告したい。
公立中学、高校の理科で人類誕生の歴史をどう教えるのか−−。保護者と教育委員会が対立したID論裁判は九月二十六日、米ペンシルベニア州ハリスバーグにある連邦裁判所で始まった。進化論を覆すID論も同等の時間を割いて教えるべきだと郡教育委員会が主張。これに対して十一人の親たちが「ID論は科学ではなく宗教だ。公立学校での宗教教育は違憲だ」と猛反発。どのメディアも裁判前から連日報じ、衆目を集めた。
裁判の二週間ほど前にタイミングよく『共和党の反科学運動』(“The Republican War on Science”)を上梓したジャーナリストのクリス・ムーニーは、初日から精力的に取材し、その熱狂ぶりをこう語る。「この裁判は判事が決めるので、陪審員席が記者用にあてがわれています。そこからは証言者がよく観察できるからです。海外メディアも来ていて、かなり早く入らないと座る席がなくなるほど記者で埋まっています」
そこまで注目されるID論とは何だろう。直訳すると「知的設計論」である。「自然界はダーウィンの進化論が主張する無作為の自然淘汰だけで説明できるほど単純ではなく、知的な設計者が介在しているはずだ」。その設計者が「神様」であると暗示はしているものの断定していない。つまり、エイリアンであるかもしれないし、神様であるかもしれないが、その設計者が誰なのかは問題ではない、という。
一九二五年の裁判は、今回と違って陪審員が評決を出し、テネシー州の法律を支持した。「聖書で教えられる天地創造の話を否定する説を教える」ことは違法だとして、進化論の教育を禁じた。今回はその裁判をもじってスコープス裁判第二弾(Scopes Trial II)と呼ばれる。
米科学界を牽引する著名な研究者、リーハイ大学の生化学者マイケル・ビーヒー教授や、ウィリアム・デムスキーのような一流の数学者もID論支持派に入ったころから、科学論争の様相を呈している。ダーウィンの『種の起原』が発表されてから百四十年。どんな判決が下されるのだろう。
→つづく
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【略歴】大野和基氏 昭和三十(一九五五)年、兵庫県生まれ。東京外国語大学英米学科卒業後、七九年渡米。コーネル大学で化学、ニューヨーク医科大学で基礎医学を学んだ後、ジャーナリストの道へ。サミュエル・ハンチントン・ハーバード大学教授や元CIA長官、えひめ丸事件の乗客、北朝鮮に拉致された曽我ひとみさんの米国人夫ジェンキンス氏の家族ら要人、渦中の人物への単独インタビューをものにしてきた。海外現地取材が圧倒的に多く、年間フライト数は八十回を超える。
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| 「正論」平成18年1月号 |
論文
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